[コラム4]私はどのようにドイツ語を学んできたか(門間俊明先生)

 [コラム3]に続いて、門間先生によるドイツ語の話をもう少しお聞きしましょう。

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 もう何十年も前の話になりますが、自分が大学でドイツ語を勉強し始めた時のことを書いてみたいと思います。
 入学したのが文学部のドイツ文学科というところでしたので、とにかくまずはドイツ語を読めるようになることが最優先のカリキュラムでした。初級の文法が済むと、あとは文学作品やら評論文やら作品論やら、大量のテキストを与えられてひたすら辞書と格闘していた、という感じでしょうか。英語しか知らない当時の自分にとって、初めて出会うドイツ語の単語の発音や細かな文法規則に相当な違和感、あるいは新鮮な驚きを感じたはずなのですが、実際にはそんなことを意識する暇もなく、ドイツ語の大海原の中で溺れないように息をするのがやっとという状態でした。語学学習においては、気の利いた習得のコツや方法論よりは、単位時間あたりに接触する言葉の量と質こそが決定的だという、味気なくも冷厳な事実であります。
さて、これだけでは身も蓋もないので、当時心がけたことのうち、読者の皆さんにも参考になりそうなことを述べていみたいと思います。

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[コラム3]英語の後にドイツ語を習うということ(門間俊明先生)

 今日は、言語文化学科でドイツ語を教えている門間俊明先生から、外国語修得のためのアドバイスとして、ドイツ語についての話を聞きました。学生たちは高校生まで英語を6年以上勉強した後、本学科に入って本格的に独・仏・中・韓の第二外国語をしっかりと学ぶことになります。それでは、「英語の後にドイツ語を習うということ」はどういう意味を持つのでしょうか。

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 語学の学習という観点から自分の学生時代を振り返ると、客観状況としては、人生の比較的早い段階に、英語、ドイツ語という二つの外国語を相前後してそこそこ集中的に学習したということになります。ここでは自分自身の経験に基づいて、最初は英語、その後にドイツ語という順序で学習したことのメリットについて考えてみたいと思います。

 言語の歴史からすると、ドイツ語と英語は非常に近しい間柄にあって、語彙から文法のレベルまで似通った点がたくさんあります。例えばdrink/trinken、come/kommen、apple/Apfel、garden/Gartenなど、単純に対応する語彙を並べていけば、枚挙にいとまがありません。ドイツ語を学び始めたばかりの私にとって、これらの対応関係を見つけて確認すること自体が単純に楽しかったのを覚えています。外国語学習の初期段階で新しく単語を覚えるというのは根気のいる困難な作業ですが、このように英語の後のドイツ語では、その困難さが大きく軽減されることになります。

 あるいは、文法の枠組みが似通っているというのも大きなメリットかもしれません。例えば、英語の関係代名詞を知らない人が全く白紙の状態でドイツ語の関係代名詞を習った場合、相当な困難を伴うでしょうが、英語の文法知識を持った人であれば、さほどでもないはずです。つまり、使われる単語がたとえ違っていても、文法全体の枠組みや個々の文法のロジックが共通しているので、ドイツ語の習得が容易になるのです。

 英語の後にドイツ語の習うことのメリットは他にもたくさんあるのですが、一般に中学高校で英語を勉強し、大学でそれ以外の外国語を勉強したという場合、二つ言語の学習経験は全く独立した別のものと思われがちです。しかし、実際には両者は大きく重なり合い、依存し合っているように思われます。ひょっとしたらその点に、大学で英語以外の外国語を学ぶ意味が隠されているのかもしれません

【新任教員紹介3】Ulrich FLICK 先生(ドイツ語)

今年は、長年言語文化学科に勤められたゾンダーマン先生が退職され、その後任として4月からフリック先生が着任されました。さて、今日は、【新任教員紹介】コーナの第3回目として、フリック先生をご紹介致します。

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<Q1> 「お名前」をお教え下さい。

Flick, Ulrich(フリック・ウルリッヒ)と言います。

<Q2> 「ご専門(あるいは担当科目)」をお教え下さい。

専門はもともと日本研究と中国研究です。学生時代は幅広い分野で様々なことをやりましたが、最終的に歴史学の方に落ち着きました。具体的に言うと、主に植民地の教育史を研究しています。こちらではコミュニケーションをメインにドイツ語の授業を担当していますが。

<Q3> 好きな食べ物は何ですか。

おいしいものが好きです。

↑フリック先生の故郷ハイデルベルクの風景

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【新任教員紹介2】原貴子先生(日本文学・文化)

今年、言語文化学科では4人の新しい先生をお迎えしました。前回の文景楠先生(哲学)に続き、今日は日本文学・文化を担当なさる原貴子先生をご紹介致します。

<Q1> 「お名前」をお教え下さい。

原貴子(はら・たかこ)です。

<Q2> 「ご専門(あるいは担当科目)」をお教え下さい。

日本近代文学を専門にしています。

<Q3> 最近嬉しかったことは何ですか。

上野動物園でコビトカバを見たことです。コビトカバののんびり、おっとりしている様子を見て、和みました。

<Q4> 感銘深く読んだ本と学生に推薦したい本をお教えください。

感銘深く読んだ本は、樋口一葉の小説「にごりえ」でしょうか。初めて読んだとき、鳥肌が立ちました。また、何度読んでも、迫力のある描写に引き込まれます。学生さんに推薦したい本は、小澤征爾の『ボクの音楽武者修行』です。読むと、元気が出ます。

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【新任教員紹介1】文景楠先生、ようこそ言語文化学科へ!

今年、言語文化学科では4人の新しい先生をお迎えしました。まず、哲学を担当なさる文景楠先生をご紹介致します。

<Q1> 「お名前」をお教え下さい。

ややこしいかもしれませんが、いくつか書き方があります。漢字だと「文 景楠」、カタカナだと「ムン キョンナミ」、ハングルだと「문 경남」、ついでにアルファベットで書くと「Moon Kyungnam」になります。それぞれ与える感じも、連想させる音も微妙に違いますね。自分としては、どちらかというと漢字表記が一番しっくりきます。

<Q2> 「ご専門(あるいは担当科目)」をお教え下さい。

ギリシア哲学、その中でも特にアリストテレスを専門にしていますが、学院では哲学系の科目を幅広く担当していく予定です。国際交流や語学教育にも関心があり、以前は英語の先生も少ししていました。残念ながら韓国語を教えた経験はありませんが、会話の練習がしたい人は歓迎します。

<Q3> 好きな食べ物は何ですか。

全般的に何でもよく食べます。幼少の頃から海外経験があるせいか、食べ慣れたこれがないと元気がでない、といったことはほとんどないです。例えば、アメリカに少し住んでいたときはずっとサンドイッチばかりだったような気がしますが、割と平気でしたね。
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【コラム2】外国語(英語)学習法:私の学生時代(秋葉勉先生)

 スクーリングや入学式、新入生オリエンテーションなどでしばらく休んでいた【コラム】欄を再開させていただきます。今回は、秋葉勉先生による英語学習法について聞いてみましょう。

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外国語(英語)学習法:私の学生時代

Effective Ways of Learning English: Looking Back on My School Days

教養学部言語文化学科 教授  秋葉 勉

 ITを利用した教材の充実によって、語学を学ぶ環境は、現在は昔に比べはるかに整っています。留学することも珍しいことではなくなり、多くの学生が留学する時代になりました。しかし、そんな時代でも英語をマスターしている人は極めて少ないのが実情です。
 外国語の効果的な勉強法として、語学の天才と言われている「シュリーマンの方法」がよく紹介されます。私も学生時代にその方法を実践しました。トロイアの遺跡は作り話(虚構)であると考えられていた時代に、彼は子供の頃に伝説のトロイア遺跡について書物で読み、それが実在すると信じ、それを発掘するために18か国語を短期間でマスターしました。その方法は(1)音読する(2)翻訳しない(3)毎日1時間の勉強(4)日記、あるいは興味あることについて作文(5)母国語話者に間違いを修正してもらい、その間違いを復習(6)教会に通う、などの方法です。
 私が大学に入ったのは、やっとカセット・テープレコーダーが売り出された頃です。留学するお金がなかったので、私が取った方法は、日本にいて留学するのと「同じ環境を作ること」でした。ESS(英会話サークル)に入り、NHKラジオの「英会話」のテキストを利用して毎日お昼時間、サークル仲間と英語で話しをしていました。空き時間には、ネイティブの先生の授業を聴講していました。教会の無料英会話教室に通ったり、外国人の先生の自宅で週に一度英語で話をしたりしていました。その他に、一人でイソップ物語、ギリシャ・ローマ神話、小説、民話、そして聖書を英語で読みました。毎日が英語中心の生活でした。
 語学の学習方法は多様にありますが、一番大切なのは「大きな目標」を持つことです。英語(外国語)をマスターすることが、自分の人生でどうプラスになるのかを真剣に考えてみることです。強い動機付けが語学習得には重要なのです。今度はあなたたちが「英語オタク」になるときです。

 

【コラム1】「福島弁と韓国語」ー松谷基和先生ー

これから言語文化学科の先生によるコラムの連載をスタートすることになりました。言語と文化についての貴重なお話しをお届けしたいと思います。第1弾としては、韓国・朝鮮語を教えている松谷先生から「福島弁と韓国語」という原稿をいただきましたので、どうぞお聞きください。

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今からもう20数年前のことである。私は韓国の延世大学に交換留学生として1年間留学した。当時は韓流ブーム以前の時代であり、韓国に対する世間の関心は薄く、韓国に留学する学生も少なかった。ましてや、私の通っていた国際基督教大学(ICU)は英語教育が評判なこともあって人気の留学先は欧米であり、韓国を選ぶ学生は「変わり者」であった。また、韓国に留学する場合でも、現地では英語による科目履修が想定されており、韓国語の能力は選考基準に含まれていなかった。そもそも、当時は、ICUのカリキュラムに韓国語の科目は存在せず、留学前に韓国語を学ぼうにも大学では学ぶ機会すらなかったのである。

当時の私は、こうした英語さえできれば、英語圏でなくても留学できるという制度が英語中心主義の象徴のように思われ、現地語を学ばないまま留学することに抵抗を感じた。幸いなことにICUからそう遠くない所に「アジア・アフリカ語学院」という語学の専門学校があったため、そこに通うことで、私は初めて韓国語の学習の機会を得たのであるが、今日では第二外国語で韓国語を学べる大学が多数であり、まさに隔世の感がある。 “【コラム1】「福島弁と韓国語」ー松谷基和先生ー” の続きを読む

第一回映画講座『雨月物語』(金永昊先生解説)が終わりました

去る9月29日(木)は泉キャンパス図書館の2階視聴覚室にて、言語文化学科の金永昊(キムヨンホ)先生の解説による後期第一回目の映画講座が行われました。今回の作品は、溝口健二監督の『雨月物語』(1953)でした。学内外の諸行事と重なり、多くの方が参加することは出来ませんでしたが、その分、一人一人と深いところまで話し合うことが出来ました。参加出来なかった方々のために、一部の模様をお伝えします。

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まず、映画上映前の約20分間は、上田秋成と『雨月物語』、そして溝口健二監督と映画『雨月物語』についての基本的な説明、そして映画のどのような点に注目して見ていただきたいかについての説明がありました。 “第一回映画講座『雨月物語』(金永昊先生解説)が終わりました” の続きを読む

新任教員の松谷基和先生の紹介!

<Q1> 「お名前」をお教え下さい。

いきなり、名前を聞かれるのも不思議な感じですね。松谷基和(まつたに もとかず)です。

松谷先生1

<Q2> 「ご専門(あるいは担当科目)」をお教え下さい。

朝鮮半島の近現代史を主にやっております。特に19世紀末に朝鮮半島に入ってきたキリスト教(プロテスタント)の普及過程や、それが現地の社会や文化に与えた影響について関心を持っています。また、キリスト教や宣教師を通じた朝鮮とアメリカ、日本との人的・文化的な交流にも関心があり、最近は東北学院の初代院長である押川方義と朝鮮の関係についても調べています。

 

<Q3> 好きな食べ物は何ですか。

大学でこの種の質問を受けたのは初めてですね。私の好きな食べ物を知って喜ぶ人なんているとは思えません(笑)。私は出されたものはなんでも感謝して頂きます。

 

<Q4> 好きな映画を教えてください。

映画なら『炎のランナー』です。ミッション系の本学の学生、とりわけスポーツが好きな方にはぜひ見て欲しいですね。人は何のために走るのか、何のために競争するのか、そして競争に勝って手にした栄光には何の意味があるのか、など考えさせられる内容です。また宗教的寛容、人種差別、ナショナリズムといった今日のグローバル社会でも頻繁に論じられるテーマも随所に盛り込まれており、非常に中身の濃い映画です。

それと映画ではありませんが、1970-1980年代にNHKで放映されたアメリカのドラマ『大草原の小さな家』もいいですよ。最近、ようやく日本でも復刻版のDVDセットで発売されましたのでネットで見つけて買いました。これも、単なる家族愛の話でなく、貧富の格差、老いと病、暴力と戦争、個人と共同体といった社会的なテーマが盛り込まれており、誰が見ても自分の関心に引き付けて楽しんで見ることができます。

韓国・朝鮮の文化を担当している者としては、何か韓国映画にも言及しないとまずいですかね。数年前の映画ですが『国際市場で逢いましょう』は良かったです。激動と苦難の韓国現代史を知っている人間であれば、涙なくしては見られません。日本で紹介されるK-Popや韓流ドラマのスターたちを見ていると華やかで活力に満ちた韓国ばかりを想像しがちですが、この華やかな社会の背景には大変な苦労の歴史があります。そうした韓国社会の別の側面を知る上でも日本の韓流ファンにはぜひ見て欲しいです。

 

<Q5> 最近嬉しかったことは何ですか。

本学に赴任したことです。私は以前から東北地方にあり、かつ専門である韓国・朝鮮に関する科目を担当できる大学で働きたいと思っておりました。世の中のことであれば、アメリカの大統領選挙でサンダースが全国的に若年層から幅広い支持を集めていることです。20代、30代の若者が、70代の政治家の語る理想に共鳴して立ち上がる国には希望を感じます。

 

<Q6> 感銘深く読んだ本と学生に推薦したい本をお教えください。

いろいろありすぎて困りますね。まず、学生さんに勧めたいのは、同世代の本だけでなく、一世代二世代前の本を読むことです。そうでないと、上の世代の人と何ら共通の知識や感覚を持たなくなり、その結果、自分と同じような感覚を持つ同世代の人や年下とばかり話すことしかできず、自分の世界を広げる機会を失います。いきなり何世代も時間や空間を飛び越えた世界的な古典や名著に挑戦することはできなくとも、自分の両親や祖父母の世代に流行っていた本を読んでみるだけでも意味があると思います。つまり、時代遅れの本を読めということです。

私が学生時代(1990年代)に読んだ時代遅れの本のひとつに『人間の條件』(五味川純平著)という長編小説があります。これは1955年に出版されて以降、累積で一千万部以上売れたという超ド級の大ベストセラーです。日本が中国大陸で行った戦争の醜悪さ、戦争に動員された兵士や労働者が直面した不条理、そしてそれにより破壊されていく人間性といった重苦しい内容がテーマであり、決して楽しい本ではありません。しかし、かつては日本でもこうした重いテーマの本が、大衆小説として幅広い層の人が読んで、少なからず問題意識を共有していたことを思うと感慨深いです。昨今の日本社会には、こうした過去の記憶がまったく希薄になっているようで不安です。

 

<Q7> 研究者(あるいは教員)を志したのは いつですか。

いつと言われても難しいですね。少なくとも、学部時代の私には、大学院に進むとか研究者を目指すとかいう考えは全くありませんでした。何となく卒業し、深い考えもなく商社に就職して二年ほどサラリーマン生活を送りました。しかし、うまくなじめず飽きてしまい、会社を辞めました。辞めた後に、大学院(修士課程)の試験を受けて、韓国の政治や歴史を学び始めました。その後、アメリカの大学院に進み、勉学を続ける中で、ようやく研究が楽しいと思えるようになり、博士学位を得たことで自分も研究者としてやっていけるかなあと思い始めました。最初から明確な志があったわけではありませんが、目の前に与えられた機会を生かして自分なりに頑張っていたら自然に道が開かれたというのが正直なところです。

 

<Q8> 学院大(生)のよいところをお教え下さい。

着任一か月程度で、学院大(生)を語ることはできませんよ。もっとも、私は常に長所と短所はコインの裏表の関係だと思っておりますので、何か褒めても裏がありますよ。例えば、私が「おとなしくて素直」と褒めるようなことがあったら、その裏には「消極的で向上心が弱い」と疑って下さって結構です(笑)。

 

<Q9> 学生時代に印象に残った先生について教えてください。

これまた、いろいろおります。修士課程時代に、私が大学を辞めようと思った時に引き留めてくださった先生、アメリカでの博士課程時代に公私ともにお世話をしてくれた先生、いろんな先生の顔が浮かんできます。いずれにしても、私はそれらの先生方の学問のみならず、人格や立ち居振る舞い(いわゆる背中でものを言う)に教えられることが多かったです。もっとも私は眺めて感動するだけで、自分がそれを真似することは出来ないのですが、そうした先生方に会えただけでも大学の世界にいて良かったなと心から思います。

 

<Q10> 韓国でもアメリカでも生活の経験がおありと聞きました。異文化“誤解”のエピソードがあればお教え下さい。

学部生の時、韓国に交換留学しました。留学して間もない頃、親しい韓国人の友人の家に招かれました。そこで、友人の母親から「親元を離れて留学に来ているから、お父さんやお母さんが恋しいだろう?」と尋ねられました。私は、即座に「いや、全く恋しくなんてありません。むしろ、親元を離れて暮らした方が、自由で解放感があって楽しいですよ」と元気よく答えました。すると、その母親は血相を変えて「なんだって、そんなことを言うもんじゃないよ。親に対して恩知らずだ」と怒ったのです。日本であれば、「おお、逞しくて頼もしい若者だわねえ」と褒められたかもしれません。しかし、親子間の「孝」を重視する儒教社会の伝統が残る韓国社会においては、私のような物言いは、叱られることはあっても、褒められることはないのです。留学して日の浅い私にはこの辺りの日韓の文化の差異が見えていなかったのです。この経験から学んだ私は、その後は、この種の質問に対しては、「はい、恋しくてなりません。寝ても覚めても父上様、母上様の面影が浮かびます。志を果たして、いつの日か親元に帰り、孝行を尽くしたいと思います」と真顔で応えられる智恵と度胸が身に着きました。こうした面白い異文化体験をするためにも、韓国に留学される方は単に同世代の友人と付きあうだけでなく、友達の家族や親戚など異なる世代の人とも積極的に話して欲しいですね。

アメリカでのエピソードもいろいろありますが、省略しましょう。

 

<Q11> 赴任以来、「なんでやねん」と思わずツッコんでしまった出来事はありますか。

どうして質問が関西弁風なんですか?まずは、そこにツッコみたいです。私は福島人なので、こういう形の質問を受けると、福島弁で返したくなります。

あんだの質問は福島弁さ翻訳すっと、「学院さ来てがら、『なしてほどごどやってんの?おがしいんでね?』って思ったごと、なんかあっかい?」つうことだべ?

んだこっちゃ、ちっとおがしねって思ったことあったない。学院さ来て、最初に新入生のオリエンテーションキャンプっつうのに行ったんだげんちょ、せっかく新入生同士で泊りでキャンプさ行ったのに、友達と遊んだり、先生としゃべったりする時間はほとんどねくって、みなして床さ寝っ転がって履修計画作るのに何時間もかけてんのない。いやいや、あれは、もったいねえない。わざわざ泊りさ来たんだから、昼間がら一緒に運動したり、遊びさ行ったりしたらいいべした。それと、リーダーつう人たちが、リクルートスーツ着てんのも、なんだか「お仕事」してるっつう感じで違和感あったない。学院の学生はまじめなんだかなんだかわがんねえけど、もうちっと、楽しく学生生活スタートさせっぺで。われらーのがくいーん♪」

 

<Q12> 五月病に悩む学生へ一言、「こうしてごらん」。

五月病ですか。自分がかかった経験がないので、助言らしいことは申せません。ただ、気の病について一般的に言えることだと思いますが、病になるのは、かかった個人にのみ原因があるのではなく、その方を取り巻く社会的な環境によるところも大きいのではないかと思います。言い方を変えれば、この世の中がそもそも歪んでおり異常な面がありますから、この曲がった世界に生きていて憂鬱になったり、虚しくなったりすることは当然であり、逆にそれは正常な人間である証だと思います。この世が闇ばかりとは申しませんが、闇を感じて、光を求めて苦悩するのは、人間の人間たるゆえんだと思います。ちなみに、皆さんが入学式で頂いた聖書の中にはこんな言葉がありますよ。「神の御業を見よ。神が曲げたものを、誰が直し得ようか。順境には楽しめ、逆境にはこう考えよ。人が未来については無知であるようにと神はこの両者を併せ作られらた、と」(コヘレトの言葉7:14)

松谷先生2

【学生からも一言】田中 杏奈(言語文化学科3年)

松谷先生は本当にユニークな方です。第一印象は、良い声で話す先生。

先生は、「学生がどんなことに興味があるのか」「今流行していることはなにか?」など私たち世代の出来事や考えにも関心を持っているので、とても話がしやすいです。
また、たまに熱く語ることがあるので話が長くなることもあります…。しかし、毎回「なるほど!」と思うようなことを教えて下さるので、先生といる時間はほんとに楽しいですし、先生の授業を受けることで、考えも広がります。