交換留学生の開講式が行われました

 9月3日(月)は天主教輔仁大学(台湾)から4名、世新大学(台湾)から2名、北京第二外国語大学(中国)から4名、ラインマイン大学(ドイツ)から1名、合計11名の留学生が新たに来ました。そして、4日(火)は開講式が行われました。

留学生サポーターと一緒に記念写真!

前期からいた平澤大学(韓国)9名、明道大学(2名)を入れると、今年の後期は22名の留学生が言語文化学科で勉強することになりました。留学生に会ったら「日本の生活はどうですか」と一言声をかけたり、たくさんのイベントに参加したりしながら、友達になってあげてください。

夏のオープンキャンパスが無事に終わりました。

2018年7月28日(土)は夏のオープンキャンパスが盛況のうちに無事終了いたしました。台風の予報はあったものの、県内外から262人の高校生たちが言語文化学科のブースを訪れました。言語文化学科では、言語文化学科らしいグローカル(GLOBAL+LOCAL)な活動が展開され、高校生や保護者に対して言語文化学科で学ぶ面白さを伝えることができました。

教員から事前に注意事項を聞くボランティア学生たち

教養学部の言語文化学科は、文化のしくみ(文化論)、ことばと教育(日本語教師、英語教師)、国際交流、世界各地域の言語文化(英米・ドイツ・フランス・中国・韓国朝鮮・日本の言語文化論)、表現と文化(メディア文化・西洋美術史)、言葉とコミュニケーション(哲学・倫理学)、言葉のしくみ(第二言語習得論、言語論)の7つのグループ、計14ヶ所のブースが設けられました。

 ↑ドイツ語ブースの様子               ↑フランス語ブースの様子

↑英語教育ブースの様子         ↑言語学ブースの様子

夏のオープンキャンパスの会場は、初夏のオープンキャンパスより広いため、たくさんの方々をお迎えできるようになりました。県内外から多くの高校生と保護者が訪問され、興味のある各ブースに質問をしたり、近くにいた在学生ボランティアさんから大学生活を聞いたりしながら、言語文化学科での勉強のイメージを膨らませていました。

韓国・朝鮮語、中国語ブースともに留学生が大活躍してくれました。

↑俳優修行               ↑倫理学

↑個別相談の様子         ↑塚本学科長による学科ガイダンス

今回は「学科ガイダンス」「模擬授業」「個別相談」など、言語文化学科に興味や関心を持ってもらえるような様々な取り組みが行われました。この場をお借りし、ご来場の皆様を始め、学生ボランティア、先生の方々のご協力に感謝申し上げます。

(左)佐藤先生の模擬授業「日本人の知らない日本語!?:日本語教育ミニ体験」、(右)文先生の模擬授業「バイリンガルな生き方」。とても充実した授業が行われました。

↑反省会及びアンケート回収

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以下は、在学生・留学生ボランティアの感想文です。

●夢や目標を持った高校生の方々とたくさん、言語文化学科についてお話することができて、少しでも高校生の方々のお力になれたり、言語文化学科のピーアールをできていたならば、とても良かったなと思います。オープンキャンパスに向けた準備に時間をかけた分、当日は有意義な時間を過ごすことができ、また、わたし自身にとっても改めて学習することがたくさんあり、とても貴重な良い経験となりました。4年生で、学生時代最期のオープンキャンパススタッフの経験をすることができて、本当に良かったです。来年度も、今年度のようにパネルやパンフレットに力を入れたり、各自で準備をしっかり進めていければ良いと思います。改めて、本当にありがとうございました。
●自分以外の専門分野のこともよく知れて、自分にとってとても良い機会でした。
●OCへ来た生徒に対して、親身になって自分なりに言語文化の魅力を伝えることができた。また、一人一人に対する対応を丁寧に行おうと意識した。その結果、会話の中で笑いが起きたり笑みがこぼれるという場面が見れて、良かったと感じた。
●はじめて参加したのですが、言語文化の人たちが様々な関心を持って勉強していることがわかりました。とてもいい刺激になりました。
●私たちの留学生は日本の友達が何を勉強するかわからなかったですが、今回、勉強になりました。
●ドイツ語ブースを担当したが、第二外国語で悩んでる子にもドイツ語志望の子にもしっかりドイツ語の良さや面白さを説明できた。
●日本文化よりはやはり周りの英米文学や韓国に人が集まると思った。ずっと立っているのは大変だったが人に教える経験は大変よいものだと思った。 来年度はもう少し資料や本などを揃え、高校生の皆さんがもっと日本文化に入りやすい環境を作る方が良いと思った。
●たくさんの高校生に言語文化学科に興味をもってもらえ、また言語学に興味を持って見学に来た高校生も一定数いてとても嬉しかった 。

今日の国際交流サロン

毎週木曜日4限目には、言語文化学科に来ている留学生と話し合いながら交流を深める「国際交流サロン」が行われます。

↑中国・台湾の留学生とお互いに日本語を教えたり、中国語を教えてもらったりしています。

↑韓国の留学生と交流しながらお互いの理解を深めています。

「留学生と友達になりたい」と思う人は、出入り自由なので、ぜひ気軽に参加してください!

ポルタ(Porta)の紹介④-哲学のおしゃべり-

多くの人が大学で初めて接することになる「哲学」には、実はいくつもの顔があります。このポルタでは、講義で扱うような専門的な学問としての哲学ではなく、自分の身のまわりの問題を、日常の言葉でわかりやすく語るための哲学を実践することを目指しています。
普段のおしゃべりよりもう少し深く物事を考えてみたい方、是非ドアをノックしてみてください。

  • 担当先生:文景楠先生
  • 開催時期:授業のある月曜日の11:50~12:50(途中参加歓迎)
  • 場所:3号館6階「多言語多文化実習室」


“このポルタではぬいぐるみに活躍してもらってます。
ちなみに、本日のお題は「女子力とは何か」でした。”

【新任教員の紹介】金亨貞先生(韓国・朝鮮語)

<Q1> 「お名前」をお教え下さい。
金 亨貞(きむ ひょんじょん)といいます。

<Q2> 「ご専門(あるいは担当科目)」をお教え下さい。
専門は韓国語学と韓国語教育学です。最近興味を持っているテーマは韓国語名詞句における有情性の問題です。有情性というのは,日本語でいえば人や動物名詞には「いる」,もの名詞には「ある」が使われることと関連している概念です。有情性は,韓国語では格表示の実現,能動文と受動文における主語の選択などの文法現象と関係しているもので,これらの問題について研究を進めています。また,日本語母語話者のための日韓・韓日辞典の編纂にも関心を持っています。

<Q3> 好きな食べ物は何ですか。
おいしいものであればなんでもよく食べます。少し違う話になりますが,10年くらい前に日本人の知り合いの家に招待されたとき,きれいな薄緑のスープをいただいたことがあります。今考えればずんだスープでした。当時は日本に来たばかりの,まだ右も左もわからない素人だったので,その知り合いの方がいろいろお世話をしてくださいました。仙台に来てずんだ餅を見たとき,そのことを思い出して,とても懐かしいような寂しいような気分になりました。

<Q4> 好きな映画を紹介してください。
私が一番好きな映画は「ジプシーのとき」という昔のものです。ジプシーたちが生活する,旧ユーゴスラビアの小さな村を舞台にして,純粋なある少年が物質文明と資本主義に染まって堕落していく過程をリアルに描いた作品です。ジプシー音楽の悲しげなメロディーや魔術的なシーン演出を通して,現実の悲しみがより強烈に感じられました。行きつけのビデオレンタル店が閉店したとき,店主のおばさんからその映画のビデオテープをいただいて,今も持っています。

韓国の映画もいろんなものを見てきたのですが,最近話題になっている南北首脳会談と関連して「JSA」という映画を紹介したいです。いまさら紹介するまでもない有名な作品ですが。先日板門店での歴史的な出会いを見て,多くの韓国人があの映画のことを思い浮かべたかと思います。メッセージ性もあり,コメディーや推理などの娯楽映画としての面白さも備えていますので,ぜひ一度見てほしいです。

<Q5> 最近嬉しかったことは何ですか。
本学に赴任したことです。韓国語や朝鮮半島の文化および社会に関心を持っている学生たちと一緒に勉強できるようになってうれしく思っています。

<Q6> 感銘深く読んだ本と学生に推薦したい本をお教えください。
この頃は研究や教育関連の専門書籍ばかり読んでいて,あまり感銘を受けることもないですが,SF短編小説の「あなたの人生の物語」は面白かったです。アメリカの小説家,テッド・チャンが1998年に書いたものです。映画としても制作されて,日本では『メッセージ』というタイトルで昨年公開されました。ある日エイリアンが突然地球にやってきて,主人公の言語学者が軍の命令によりエイリアンとコミュニケーションをとりながら彼らの言語を習得していく過程を描いた小説です。

主人公は地球人の文字言語とは全く違うエイリアンの文字言語体系を身につけることによって,世界を4次元的に認識できるようになります。つまり,時間を自由に認識する力を身につけたことで,特定の時点に縛られずに,未来のことまで知ることができたのです。このような4次元の時空はアインシュタインの相対性理論で取り扱われたものです。少し難解な内容ですよね。認識方法が変わる過程の理論的妥当性について私は批判的ですが,言語学や認知科学,物理学の原理をもとにした,言語の習得が世界に対する人間の認知過程をも変えてしまうという大胆な発想は,なかなか興味深かったです。

ところで,その小説でもう一つ大切な話は主人公の娘との思い出です。思い出なのに未来時制で書かれていて,最初は不思議に思ったのですが,小説を読み終えて納得しました。おそらくその小説で作者が語りたかったのは,未来のことを先に知っても人間の選択は変わらないということだったのではないかと思います。

もう一冊,『「国語」という思想』という本も一度読んでみたらよいかと思います。社会言語学の本ですが,内容はそんなに難しくはありません。「国語」という言葉の歴史やそこに潜んでいるイデオロギーについて忌憚なく述べた本です。長い歴史を持っている日本の「国語学会」が2004年に「日本語学会」に名称を変更したこととも関連があるように思えます。

<Q7> 研究者(あるいは教員)を志したのは いつですか。
学部時代は韓国の大学の国語国文学科に所属し,韓国語学と韓国文学を勉強していましたが,当時は研究者や教員を目指すという考えはありませんでした。大学卒業後,たまたま韓国を訪れた外国人に韓国語を教える仕事をすることになりました。仕事は楽しかったですが,言語教育のより専門的な訓練が必要だと痛感して,韓国語教育学の修士課程に進学しました。韓国語教育学という学問は,韓国語学,教育学,心理学など,多様な分野にまたがる学際的な性格を帯びています。修士課程に在学中,自分は語学にもっとも興味を持っていることがわかりました。それで博士課程は再び韓国語学の方に戻ることになりました。数多くの用例の分析に奮闘しながら,何か意味のある研究結果を出さなければならないという圧迫感で苦しかったのですが,何度も仮説を立て直してそれの検証が可能になったとき,やりがいや喜びを感じました。博士の学位を得て,何となく自分も研究者として生きていけるかなと思いました。

<Q8> 学院大(生)のよいところをお教え下さい。
着任してまだ一か月程度しか経っていませんので,この質問には答えにくいです。これから変わるかもしれませんが,第一印象はおとなしくて真面目そうに見えます。

<Q9> 学生時代に印象に残った先生について教えてください。
私は日本に来てから博士論文を書いたので,実は韓国の大学にいらした指導教員の指導をちゃんと受けることは物理的に難しかったです。そういうことで,日本で朝鮮語学や朝鮮史を専門になさっている先生方に大変お世話になりました。ときには後輩のようにときには弟子のように,いろいろな相談に快く乗ってくださった先生方に心から感謝しています。

<Q10> 異文化“誤解”のエピソードがあればお教え下さい。
私は京都で5年くらい暮らしたことがあります。京都に行く前に日本人や韓国人の知り合いから「京都人のいうことには裏の意味があるので素直に受け入れてはいけない」と何度も注意されました。ところが,実際に生活してみたら人間が住んでいるところってそんなに変わらないということがわかりました。いわゆる先入観の問題ですが,どこの人はああだこうだということよりは,個々人の個性などを理解し合ったうえで,相手のことを配慮しようとする真心が大切でないかと思います。もちろん文化圏によって注意すべき言動はあるでしょうし,あらかじめ知っておくことはよいと思います。例えば,アメリカでは,他人の子供がいくら可愛くても頭をなでたりしてはいけないですよね。しかし考えてみると,他人の子供の頭をなでることは,韓国でも昔は違和感なく認められた行動でしたが,現在では失礼だと考える人が増えてきたようです。文化や習慣も時代とともに変わるものですから。昔の常識が今は時代遅れになってしまったり,誤って伝わった異文化の常識が問題を引き起こしたりすることも少なくないと思います。

↑仕事帰りに見つけたコンクリートの裂け目から咲いている野花

<Q11> 赴任以来,「なんでやねん」と思わずツッコんでしまった出来事はありますか。
学院大の特色といえば毎日礼拝が行われることでしょうか。ところが私もミッション系の大学出身ですので礼拝には慣れています。(自分は仏教徒ですが。)不思議に思ったことは特にありません。

<Q12> 五月病に悩む学生へ一言,「こうしてごらん」。
私も生活環境が大きく変わってバタバタしています。こういうときは,まず,自分の心の中を冷静に見つめて,自分がもっとも避けたいことや望むことが何かを探り出してそれを素直に認めるのが必要かと思います。そのうえで,焦らずに自分のペースでやっていけば何となく落ち着くのではないでしょうか。とはいえ,常に理性的な判断ができるわけでもないですし,個々人の悩み事にもいろいろな種類がありますので,本当につらかったら周囲の誰でもいいので助けを求めたり声をかけたりしてください。

【訳書紹介】William J.Perry著・松谷基和訳『核戦争の瀬戸際で』

言語文化学科で韓国・朝鮮の言語と文化を教えている松谷基和先生の訳書『核戦争の瀬戸際で』(William J.Perry著、東京堂出版、2018)が刊行されました。本に対する簡単な紹介、そして『朝日新聞』と『日本経済新聞』に載った書評を紹介致します。

※     ※     ※

<内容紹介>

現在、北朝鮮の核問題に世界中が注目しているが、北朝鮮と米国を巡る危機は、すでに1994年に起こっていた。当時のクリントン政権で国防長官を務めたペリー氏が、核戦争の瀬戸際で生きてきた自らの人生を振り返った自伝、『My Journey at the Nuclear Brink 』待望の翻訳。

<『朝日新聞』2月18日付書評>
まるで、けんかにはやる子どもたちを諭す老教師の光景だった。90年代末、米議会で北朝鮮政策を語ったウィリアム・ペリー氏の姿を私は今も思いだす。
脅しに屈するのか。なぜ敵と対話するのか。いらだつ議員たちの問いに、元国防長官は噛んで含めるように、対話と抑止を両立させる意義を説いた。
北朝鮮を孤立させれば崩壊すると信じるのは希望的な観測に過ぎない。米軍の態勢を維持しつつ、相手の真意を探る。それが当時、「ペリー・プロセス」と呼ばれた政策の肝だった。
20年後の今、北朝鮮問題は再び危機を迎えている。核をめぐる緊迫の度ははるかに増したが、為政者たちの思考は同じ轍を踏んでいるようにしか見えない。
日米両首脳は、ひたすら圧力を連呼し、トランプ大統領は「核戦争」まで口にした。米政権は「使いやすい」小型の核弾頭を開発する戦略も発表した。
人類の破滅を憂える想像力が、なぜここまで失われてしまったのだろうか。
核問題の最前線に立ち続けた、90歳の回想録はまさに時宜にかなう。東京と那覇の焼け跡を起点に、冷戦の核競争、キューバ危機、旧ソ連の核解体などに取り組んだ教訓をたどる。
核ミサイルをめぐる誤認など相互破壊態勢下の緊張をへて、到達した結論は明快だ。「核兵器はもはや我々の安全保障に寄与しないどころか、いまやそれを脅かすものにすぎない」
11年前にキッシンジャー氏らと「核なき世界」への提言を発表した。その確信は今も揺るぎない。核攻撃されても国を守れるという発想は絶望的な現実逃避であり、核の危険性は除去できないという信仰を「危険な敗北主義」と断じる。
トランプ政権の核軍拡にさえ追従する日本政府は、敗北主義の代表格だろう。政治的な強硬論が幅を利かせ、核政策までもがポピュリズムに流される。そんな時代の到来を、私たちはもっと恐れねばならない。

<『日本経済新聞』3月31日付書評>
本書はクリントン政権下で国防長官を務め、後にキッシンジャー元国務長官らと超党派で核廃絶を訴える論考を公表し、オバマ大統領の「核なき世界」演説を先導した著者が、自らの半生を振り返りつつ、改めて核の危険を訴える著作である。
1927年生まれの著者は敗戦直後の日本で現代戦争の惨禍をまざまざと実見した後、冷戦下で米国が核大国として急成長する中で核兵器の情報分析産業に携わることになった。62年のキューバ危機の際には西海岸から首都に呼び寄せられ、情報分析に携わった。キューバ危機がもたらした緊張を体感した最後の世代の一人だろう。著者も触れるように、冷戦後の歴史研究は、キューバに核兵器が運び込まれていたことをケネディ政権が察知していなかったことなど、危険な誤算が数多く存在したことを明らかにしている。著者によれば核戦争の回避は適切な対応と同時に幸運によるものだった。
カーター政権下で政権入りした著者は核軍備管理を進めようと尽力するが、その努力はソ連だけでなく国内の反対派にも妨げられた。著者によれば、通常火薬の100万倍の破壊力を持つ核兵器を通常兵器と同様に見なす誤りが、細部をめぐる損得勘定への拘りを生んだのである。ゴルバチョフ政権の登場で軍備管理が著しい進展を見せた時期の記述も印象的だが、国防長官として取り組んだソ連解体後の核不拡散問題に関する記述が本書の白眉だろう。
ロシアとの信頼関係を重視する著者は96年に北大西洋条約機構(NATO)の東方拡大を延期するよう求めたが、政権内での論争に敗れたと後悔を込めて振り返る。だが、著者が94年に主導した、ウクライナなどからの核兵器撤去の代償として米英露がこれら諸国領土保全を約束した「ブダペスト覚書」にすでに問題は胚胎していたのかもしれない。ロシアからすれば同覚書は政治的混乱の中で核兵器を人質に押し付けられたと受け止められた可能性がある。
世界大戦やキューバ危機の恐怖を知らないトランプ大統領や金正恩国務委員長が核のボタンを握る時代において、著者の回顧は忘れてはならない貴重な教訓を含んだ証言と言えよう。

【目次】
序 章 もしワシントンで核兵器テロが起こったら?
第1章 キューバ危機、核の悪夢
第2章 天空の火
第3章 ソビエト核ミサイルの脅威
第4章 シリコンバレーの原風景
第5章 国防次官への就任要請
第6章 「相殺戦略」の実施とステルス技術の登場
第7章 アメリカの核戦力強化
第8章 核警報、軍縮、そして失われた核不拡散の機会
第9章 外交官としての国防次官
第10章 冷戦の終結、再び民間人として
第11章 首都ワシントンへの帰還
第12章 国防長官就任
第13章 核兵器解体、ナン・ルーガー法の実施
第14章 北朝鮮の核危機
第15章 STARTIIと核実験禁止条約をめぐる戦い
第16章 NATO、ボスニア、ロシアとの安全保障の絆
第17章 ハイチ「無血」侵攻と西半球安全保障の確立
第18章 軍事能力と福利厚生のあいだの「鉄の論理」
第19章 武器よさらば
第20章 途切れていたロシアとの安全保障の絆
第21章 共通の土台を求めて
第22章 北朝鮮政策の見直し
第23章 イラクでの大失策
第24章 「冷戦主義者」たちの新たなヴィジョン
第25章 核なき世界を目指して
終 章 日本 私の人生を変えた国

新入生オリエンテーションが行われています

4月2日(月)はさっそくではありますが、英語のプレースメントテストが行われ、午後は学部・学科ガイダンス、学生生活についての諸注意、教科書ガイダンスなどが行われました。

学科長挨拶及び就職について

4月4日(水)は、午前中は注意が必要な科目の説明(必須英語・英語コミュニケーション、第二外国語、スポーツ実技)、資格取得について(教職、日本語教育基礎資格)などの説明があり、午後は学科のカリキュラムに関する理念的・包括的な説明がありました。

左:ポートフォリオについて、学科施設(ラボ・総合研究室)の使用について(佐伯先生)、右:学科のカリキュラムについて(岸先生)

<第二外国語の説明>左上から時計周りで、アッシュ先生(フランス語)、フリック先生(ドイツ語)、楊先生(中国語)、金永昊先生(韓国・朝鮮語)

左:留学・国際交流について(金永昊先生)、右:自主的な学びPORTAについて(文景楠先生)

学科教員の紹介

明日は、作並岩松旅館にてオリエンテーションキャンプが行われます。最も大事な「授業計画作成に当っての具体的説明」が行われる予定で、何よりも大学4年間を通じて、かけがえのない友人を見つけることも出来るでしょう。

17人の新しい留学生が来ました。

4月から韓国平澤(ピョンテク)大学から10人、中国北京第二外国語大学の大学院生4人、台湾の明道大学から2人、世新大学から1人の留学生が来て、言語文化学科に所属し、勉強するようになりました。

↑佐藤真紀先生による留学プログラム、授業履修についての説明

今週は新入生オリエンテーション期間中ですが、留学生も同じようにオリエンテーションが行われ、これまで図書館及び情報利用センター利用説明会、生活オリエンテーション(公益財団法人仙台観光国際協会による)、そして各留学生に日本人のサポーターが1名ずつついて、国民健保険加入、外国人登録、銀行口座の開設を手伝ったりしました。

↑日本人のサポーターが留学生の履修登録を手伝っています。

今年の提携校からの交換留学生は全員が言語文化学科の所属になっています。そして、留学生たちのために日本の様々な文化を教えてあげたり、一緒に勉強したり(もちろん、留学生から教えてもらったり)しながら、留学生をサポートする制度があり、言語文化学科の学生がたくさん参加しています。このように外国に行かなくても身近に外国の友達がたくさん出来るのも言語文化学科の楽しいことの一つです。みなさん、ぜひ留学生のみんなとも友達になってください。

留学生のみなさん、楽しく有意義な1年をお過ごしください。そして、本国に帰っても、ぜひ日本で学んだことを生かし、日本との架け橋になってください。