【新任教員の紹介】李承赫先生(国際関係・英語)

<Q1> 「お名前」をお教え下さい。

李承赫(り・すんひょく)です。「り」は、韓国では「い」と発音するのが普通ですが、国籍がカナダに変わった際に、パスポート上の名字がLeeと表記されましたので、日本に来てからも発音がLeeに近い「り」にしています。

<Q2> 「ご専門(あるいは担当科目)」をお教え下さい。

英語IとII、原典講読、Advanced English Readingを担当していますが、「地球社会を生きる」も担当する予定です。専門は広く言えば国際関係です。詳しく言いますと、市民社会の意識が国家間の関係に与える影響でありますが、主に東アジアや中東のケースを中心に研究してきました。また、グローバリゼーション時代における地域社会と伝統文化の現状についても興味を持っています。

<Q3> 好きな食べ物は何ですか。

やはり生まれた国である韓国の食べ物が好きですが、和食も好きです。しかし、様々な地域のエスニック料理を試すのも何よりも好きです。地中海地域の食べ物や、タイ料理、中国の東北地域の料理も大好物です。

<Q4> 好きな映画を紹介してください。

―The Last of the MohicansとCold Mountain

この二作は北米の歴史の中での壮大な人間ドラマですが、映画の中で描かれる北米の美しい大自然が特に好きです。

―Blood Diamond 

私たちが高級な指輪にはめ込む宝石だと単純に思いがちなダイアモンドが、生産される過程で多くのアフリカの人々にいかなる悲劇をもたらすのか、レオ様の素晴らしい演技を通じて見事に告発しています。

―Forrest Gump

この映画がなぜ好きなのか、私もピンポイントしては言えませんが、見るたびに幸せになりますし、何か心が浄化されるような気になります。

<Q5> 最近嬉しかったことは何ですか。

ピアノを最近習い始めましたが、レッスン中先生からほめられた時に嬉しかったです。

<Q6> 感銘深く読んだ本と学生に推薦したい本をお教えください。

私が感銘深く読んだ本を、和訳版もありますし、学生時代に読んでも非常にいいと思いますので、そのまま推薦します。私の研究分野とは全く関係ないのですが、色んな意味で私の人生を変えてくれた3冊です。

― ベトナムの禅僧Thich Nhat HanhのPeace is Every Step(ティクナットハン、「微笑みを生きる―“気づき”の瞑想と実践」)

― ローマ皇帝Marcus AureliusのMeditations(マルクス・アウレーリウス、「自省録」)

― 現代スピリチュアル・ティーチャーEckhart TolleのThe Power of Now(エクハルト・トール、「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる」)

<Q7> 研究者(あるいは教員)を志したのは いつですか。

修士2年生の時だったと思います。自分がいなくなった後にも自分が書いたものは残る、ということがなんとなく気に入り、また自分が書いたものを意外と読んでくれる人々がいて、面白いと思いました。

<Q8> 学院大(生)のよいところをお教え下さい。

赴任して今まで学院大の学生さんに一人も実際に対面であったことがありません。対面授業が再開されれば、たくさんの学生さんに会えると思いますし、楽しみです。東北を代表して世界で活躍できる人材がたくさんいると信じています。

<Q9> 学生時代に印象に残った先生について教えてください。

カナダ・トロントで私の博士論文の指導教授だったW先生です。学問的な実力と指導能力は当然ですが、それよりも、W先生は誰にあっても誠実・親切な態度で接していましたので、それが印象に残っています。人間関係を、社会での必要性とか、上下関係とかに応じてとらえるのではなく、有名な政治家からレストランのウェートレスさんにまでいつもカジュアルに接していました。

<Q10> 異文化“誤解”のエピソードがあればお教え下さい。

異文化“誤解”のエピソードと言えるかどうかわかりませんが、日本に来てから自分の「正体」が人々に誤解やちょっとした戸惑いを持たせるときがある、ということに気づきました。私は韓国生まれですが、長い間カナダ、日本、イスラエル、アメリカなど、海外で暮らしてきました。国籍もカナダです。ということで、日本に来てから様々な登録や申し込みをするたびに、受付の方々が興味と戸惑いを両方抱いて対応しているのだな、と感じるときがあります。日本社会が抱いている一般的な韓国人や北米人のカテゴリーとイメージ、どちらにも当てはまらないから少し不思議に思われているのかもしれません。今は徐々に慣れてきましたし、長々と説明するにも疲れてきましたので、最近は単に「韓国系のカナダ人で、「元」遊牧民です」という自己紹介に一貫しています。

<Q11> 赴任以来、「なんでやねん」と思わずツッコんでしまった出来事はありますか。

やはり、コロナですね。

<Q12> 五月病に悩む学生へ一言、「こうしてごらん」。

様々なリラックス方法とかが知られていますが、私は自分の気持ちや感情に正面から対面してみることをお勧めします。もちろん、自分の奥の感情に本当に静かに、また正直に、立ち向かうのは難しいことですし、怖いことですが、このような正面突破が一番いい時もあるのではないでしょうか。チベット仏教の聖人ミラレパにまつわる逸話を聞いたことがありますが、ミラレパが洞窟の中で修行していた時、悪魔に悩まされていました。逃げようとしても逃げられず、恐怖にかられていましたが、とうとう逃げるのをやめ、逆に悪魔に対面し、自ら彼の口の中に自分の頭を入れた瞬間悪魔が消えた、という逸話を聞いて感銘を受けたのを覚えています。

カナダの山、モンゴルの大草原、そしてギリシャの海が好きですが、モンゴルで自分が撮ったお気に入りの一枚です。

【新任教員の紹介】巖谷睦月先生(芸術論)

< Q1> 「お名前」をお教え下さい。

巖谷 睦月(いわや むつき)といいます。

<Q2> 「ご専門(あるいは担当科目)」をお教え下さい。

 担当科目は、芸術論、芸術の歴史などです。イタリアを中心とする20世紀の芸術を専門としています。長く研究を続けているのは、1899年にイタリアからの移民の子としてアルゼンチンで生まれ、幼少期にイタリアに渡り、1930年代から芸術家として活動を始めて、第二次世界大戦後にイタリアの前衛芸術の旗手となった人物、ルーチョ・フォンターナの作品や思想についてです。カンヴァスをナイフで切り裂いた作品が有名なのですが、私自身は、ネオン管で作られた作品に一番興味があります。

<Q3> 好きな食べ物は何ですか。

 鮎です。塩焼きも天ぷらもうるかも、何でも好きです。毎年、夏になると鮎を食べに色々な土地に旅をするのですが、今年は行けないので、自宅で焼かざるを得ません。鮎を自力でベストの状態に焼ける技術が欲しいです。もう七輪でも買ってベランダで焼いて、一人炉端焼き居酒屋をやってやろうかと思っています。

<Q4> 好きな映画を紹介してください。

 大変悩んだのですが、長くなるので二本だけ。

 一つは、ルイ・マルの「さよなら子どもたち(Au revoir les enfants)」。実家の和室に山ほど転がっていた、今は亡き映像記録媒体・ビデオテープのうちの一本でした。確か、高校時代に鑑賞したのだったと思います。見てからしばらく、足を引きずって歩く少年の足音が耳から離れませんでした。その少年が好きとか嫌いとか、正しいとか間違っているとかではなく、「あの状況においてああするしかない」人間がいること、そう「なる」ことについて、多分、人生で初めて考えた瞬間でした。

 もう一つは、ヴェルナー・ヘルツォークの「キンスキー、我が最愛の敵(Mein liebster Feind – Klaus Kinski)」。大学生か大学院生の頃に、東中野にある映画館のヘルツォーク特集を観にいった際の、最後の一本でした。ヘルツォークの映画には、迷優、とでも言っておくしかない独特の俳優、クラウス・キンスキーがしばしばキャスティングされていたのですよね。この映画は、彼が亡くなった際にヘルツォークが作ったドキュメンタリーというか……葬送の映画ですね。ああいう葬送をされる人生を歩みたいです。

<Q5> 最近嬉しかったことは何ですか。

 二年前、アルゼンチンに学会発表に行った際、2017年のアルゼンチン国立美術館でのフォンターナ展の展覧会図録を探して美術館のブックショップを訪ねたら、学芸部に確認を入れた店員さんが「そんな展覧会はここではやらなかった」と言ってきました。多分、うまく伝わらなかったか、学芸部が面倒がって適当に答えたのだと思います。だいぶねばったものの、開催館で手に入れられず、仕方なく他の美術館のブックショップや美術書を得意とする古本屋を探し回ってなお、手に入らなかったので、諦めて日本に帰ったのです。

 その後、学会で知り合ったカタログの編集者に連絡してみたところ、まさかのWordの入稿用原稿が送られてきました。その段階でだいぶ嬉しかったのですが、流石にこれは正式の文献として使うに支障があり、「図録のスキャンのPDFが欲しい」とお願いしてみたところ、学会に一緒に行ったD先生にあてて次のような連絡がきました。「展覧会に関わった他の人が持っていた図録を、日本に旅行する予定の知人に持って行かせる、その知人は京都でD先生と会う予定の人だから、D先生から図録を私(巖谷)に送って」と。

 地球の裏側から、京都経由で私の実家まで図録の実物が届いたとき、嬉しくてちょっと泣きました。最近と言えるかわかりませんが、昨年の話です。

<Q6> 感銘深く読んだ本と学生に推薦したい本をお教えください。

 感銘深く読んだ本と、推薦したい本を同じ本にしておきます。

 北村暁夫先生の『ナポリのマラドーナ』。サッカーが好きなら知っている方も多いと思いますが、マラドーナはアルゼンチン代表の永遠のスターであり、本国では彼が信仰対象の宗教まであります。

 ただ、この本はサッカー好きだけが面白いという類の本ではありません。マラドーナという選手と、彼が現役時代に経験する、歴史的に極めて重要な試合について、「それがなぜ重要であったか」を歴史的・社会的な背景から解説するのがこの本なのです。イタリアの南部に特有の問題や、アルゼンチンというイタリア系移民の極めて多い国の歴史を、「マラドーナ」を軸に語る書籍といってもいいでしょう。何かを研究し、語るにあたって、いくらでも面白い切り口はあるのだと教わった本です。

<Q7> 研究者(あるいは教員)を志したのは いつですか。

 今に至る進路を選択するに至った契機は二度あります。一度目は、高校時代、美術大学の油画科か彫刻科に入学しようと思って予備校に通い、基礎デッサンを学んだときです。漫画がお好きな方なら、『ブルーピリオド』の最初の方を思い浮かべてもらうと、私のやっていたことはまさにそのまま、あの感じでした。「他と比べて飛びぬけて能力がある」と思いこめるようなデッサンを描けなかった私は、絵でやろうと思ったことを、文章でやってみると、何倍も早く、望ましい形で実現できることに気づきました。ああ、これは私の手はものを作るのではなく、書くためにあるのだと確信し、美術に関わることを学んで、文章を書いて暮らそうと思ったのが、たぶん、最初の入り口でした。その時点で、研究者、大学教員、評論家あたりまでが視野に入っていたと思います。

 二度目は、母校の大学院の博士課程の試験に落ちたときです。当時、面白いほど語学ができなかったので、イタリア語の試験の点がべらぼうに悪かったのが原因でした。ぼんやりした浪人生活の中で、縁あって別の大学の院ゼミに出るようになり、翌年、その大学と母校の院試をなんとか突破しました。どちらに進むかを考えるため、院ゼミの先生と面談したとき、「自分はただの観察者であって、研究者ではないのではと思うことがある」という当時抱いていた疑問をぶつけたところ、「あなたは紛れもなく研究者だよ」と即答され、素直に信じた結果、今に至ります。

<Q8> 学院大(生)のよいところをお教え下さい。

 今般の事情により、直接、顔を合わせて話をすることのできた方は、ほとんどいないのですが……、講義に対するレスポンスや、諸々のやりとりから、「難しくてもなんとか最後までやり通そうと思っている」感じが大変よく伝わってくる点について、素晴らしいなあと思っています。

<Q9> 学生時代に印象に残った先生について教えてください。

 一番、印象に残っているのは、卒論から博論に至るまでの指導教員です。ああいう「適切な放任」をしてくれる方が指導者でなければ、まず間違いなく、私は途中で出奔したと思います。扱っている国が同じだけで、専門の時代は全く違うのですが、あの先生からは実にいろいろなことを学びました。

 また、これはQ7と関係するのですが、浪人時代から留学時代も入れれば八年間、院ゼミへの参加を許してくださった先生も、印象深い方です。あの先生には、20世紀におけるイタリアという国を扱うにあたって必要なことを学ぶ場を与えていただきました。お二方とも、印象深い先生ですね。

 インパクトの強い先生という意味では、他にもたくさんいらっしゃるのですが、お一人だけ。一年生が受講する「西洋美術史概説」を担当されたF先生は、ギリシア美術の専門家でした。数ヶ月にわたってパルテノン神殿についての講義が続いたため、一年間の授業がポンペイの壁画で終わったのはいまだに忘れられません。紀元後一世紀で通史の授業が終わる経験を、大学に入りたてでするとは思いもよりませんでしたが、いま思い出すと、とてつもなく贅沢な講義でした。もう二度と聴けないですが、もう一度聴きたい講義です。

<Q10> 異文化“誤解”のエピソードがあればお教え下さい。

 「ロマネスク」という、だいたい紀元後1000年前後から12世紀くらいまでの芸術に対して使う美術史の用語があります。これは、フランス語のロマン(roman)を英語にしたものなのですが、なんとなく、イタリア語は語尾の感じから「ロマネスコ」だと思いこんでいました。

 イタリアに留学した際、「ロマネスク様式」のことを話そうとして「ロマネスコ」を使ったら通じず、ロマネスク様式のことは「ロマニコ(romanico)」と言うのだと知ってびっくりしたのを思い出します。「ロマネスコ(romanesco)」は「(現代)ローマの」という意味で、古代ローマや、美術の様式には使えません。ちなみに「ロマーノ(romano)」だと、古代でも現代でも使える「ローマの」という意味になります。

 最近、「ロマネスコ」という野菜をスーパーで見てこの記憶が蘇ったのですが、あの野菜、イタリアでよく売っています。私の住んでいたあたりでは、「カヴォルフィオーレ・ロマーノ(cavolfiore romano/ローマのカリフラワー)」と呼ばれていました。

 ただ、「ブロッコロ・ロマネスコ(broccolo romanesco/ローマのブロッコリー)」という呼び名の方が一般的らしく、言われてみればブロッコリーの方が味も近いような気がしなくもありません。最初に覚えた呼び名のせいで、私の中ではカリフラワーの仲間なのですよね……これも誤解なのでしょうか。

<Q11> 赴任以来、「なんでやねん」と思わずツッコんでしまった出来事はありますか。

 コロナウイルスですね。もう他に何も思いつかないレベルの「なんでやねん」ですよ。

<Q12> 五月病に悩む学生へ一言、「こうしてごらん」。

 5月はだいぶ過ぎてしまいましたが……そういう時はしばらく、「寝た! 食べた! 生きてる! すごい! えらい!」と全力で自分をほめてみてはどうでしょうか。物事の目標を高いところに置いて力尽きるより、その状態でできていることをほめていくほうが、気が楽だと思いますよ。やる気が出なかったり、やるべきことができなかったりすることは、生きていれば誰でもあるでしょう。そういう時は、できている小さいことをほめて、気を楽にするところから始めませんか。できないことに悩んでしまったり、落ちこんだりすると、余計にできなくなってしまうことが多いです。人間、生きているだけでもう価値があるので、今日一日、ちゃんと生存できたことをほめるのは大事ですよ。

鮎です。美しい魚!

【新任教員の紹介】翠川博之先生(フランス文学・フランス語)

<Q1> 「お名前」をお教え下さい。

翠川博之(みどりかわ ひろゆき)と申します。

<Q2> 「ご専門(あるいは担当科目)」をお教え下さい。

フランス文学とフランス現代思想です。フランス語の授業を主に担当させていただきます。

<Q3> 好きな食べ物は何ですか。

あっさりしていて、味わい深いものが好きです。春の食材だと、蕗の薹、独活、こごみ、こしあぶら、タラの芽、筍、蕗……。魚や肉の他に季節を感じられる食べ物をよくいただきます。

<Q4> 好きな映画を紹介してください。

映画はほとんど見ません。気力が萎えて本を読む気になれない時に見ることはあります。映像を眺めているだけなので、ストーリーはすぐに忘れてしまいます。インド映画とか、ふだん馴染みのない景色を眺められる映画が好みと言えば好みです。

<Q5> 最近嬉しかったことは何ですか。

 長年探していた研究書が手に入ったことです。絶版本なので古書を探していたのですが、ずっと見つけられずにいました。どうしても読みたくて出版社に問い合わせてみたところ、なんと在庫が残っていたのです。三十年近く前の定価で購入することができました。

<Q6> 感銘深く読んだ本と学生に推薦したい本をお教えください。

 感銘を受けた本も推薦したい本もたくさんあって絞りきれません。昨年読んだ小説のなかから気軽に手にとっていただけそうなもの選ぶとすれば、梨木香歩さんの『村田エフェンディ滞土録』(角川書店 2004)がお薦めです。『家守奇譚』(新潮社 2004)や『冬虫夏草』(新潮社 2013)と併せて読めばさらに楽しめると思います。

 胸に響いた本や薦めたい本については、これから時を得てその機会に相応しいものを紹介していくつもりです。

<Q7> 研究者(あるいは教員)を志したのは いつですか。

 大学院の修士課程を終えて博士課程に進む時でした。研究者を志したというより、どんな形でも勉強は続けていこうと決めた、と言ったほうが正確です。職業は生活ができれば何でもいいと思っていました。教員になれたのは幸せでした。

<Q8> 学院大(生)のよいところをお教え下さい。

 これまで複数の大学でフランス語を教えてきました。学院大でも非常勤講師としていろいろな学部・学科を担当させていただいたので、よいところはたくさん挙げられます。言語文化学科の学生さんの特によいところは、明るくて人見知りせず、たとえ成績がいまいちでも卑屈にならないところ……。人を評価する物差しがひとつでないことを自然に体得しているような開放的なところがあって、これは多様な文化を学ぼうと入学してきた学科生ならではの美質だと思います。もちろん、あくまでも一般的な傾向です。学生さん一人ひとりにそれぞれの個性がありますから、これからたくさんの学生さんとより親しく関われるのをとても楽しみにしています。

<Q9> 学生時代に印象に残った先生について教えてください。

 学生を泣かせるので有名なT先生は、授業の後よくビヤホールに誘ってくださいました。詩人のK先生は、ご自分が主催されている詩の会に毎月連れていってくださり、詩作の指導をしてくださいました。Y先生のお宅には一年間ほとんど週末毎にお邪魔して、朝から晩まで囲碁を教えていただきました。大学院でお世話になったK先生は、夜中に飲みかけの一升瓶をさげて私の部屋を訪ねて来られるような豪傑で、一升瓶を空けてから先生いきつけの「我忘(がぼう)」というバーに行き、よく朝方まで飲みました。そんな先生たちから実にさまざまなことを学ばせていただきました。心から感謝しています。結局、詩も囲碁もセンスがなくてものにできませんでしたが、人生を楽しむ姿勢と学問を愛する精神は受け継ぎました。

<Q10> 異文化“誤解”のエピソードがあればお教え下さい。

 フランスに留学した当初の恥ずかしいエピソードがあります。大学に通いはじめて間もないころ、とても可愛らしい女性クラスメイトに「Tu as l’heure ?」と聞かれました。直訳すれば「時間、持ってる?」です。お茶か食事に誘われるものと思い、迷わず「Oui」と答えましたが、それが時刻を尋ねるくだけた表現であることを苦笑交じりに説明されてしまいました。文化を誤解したというよりも、無知な私が彼女の意図を誤解しただけですが、「誤解」と言うと真先にそれが思い浮かびます。思い出すだけで、今でも顔から火が出ます。

 今ふいに記憶が蘇ったのですが、日本語に堪能なフランスの友人が何かのおりに、「目から火が出る」と言って恥ずかしがっていました。目から出るのは、火花? こういう誤りは微笑ましいですね。

<Q11> 赴任以来、「なんでやねん」と思わずツッコんでしまった出来事はありますか。

 新型コロナウイルス騒ぎに遭遇してしまったことです。

<Q12> 五月病に悩む学生へ一言、「こうしてごらん」。

 日常から少し距離をおくこと。人には自分を見つめる心の目のようなものがありますが、心身が疲れてくると、その目が自分に同化してしまうようです。なんだか鬱陶しいばかりで、何がしたいのか分からないような気分になるのは、自分との距離がうまくとれていないからではないでしょうか。そんな状態になった時、私は旅をします。日常的な習慣から物理的な距離を取ると精神的な距離も回復できるような気がするからです。日帰り旅行でも効果はありますから、ローカル線にでも乗って、その日行きたいところに行ってみてはどうでしょう……と言っても、今は移動が制限されているので、日帰り旅行も難しいですね。そんなときこそ……インド映画を見てごらん。

旅先での一枚。水を見ているのが好きです。

【新任教員の紹介】城山拓也先生(中国近現代文学・中国語)

<Q1> 「お名前」をお教え下さい。

城山 拓也(しろやま たくや)と言います。

<Q2> 「ご専門(あるいは担当科目)」をお教え下さい。

専門は中国近現代文学で、「中国語」や「言語文化学演習」などを担当しています。もともと1920、30年代上海のモダニズム文学に関心があり、小説や詩などを対象に考察を進めてきました。いまは当時の漫画に目を向け、資料収集や作品分析などを行っています。中国近現代文学は日本では「何それ?」な分野ですが、私は本国中国でも「何それ?」と言われてしまう作家、作品を再評価することに喜びを感じています。

<Q3> 好きな食べ物は何ですか。

センマイです。中国語では「毛肚」。日本では焼肉屋さんで見ることができますね。ビール片手に、生のセンマイ(センマイ刺し)を酢味噌などに付けて食べるのがたまりません。中国では火鍋の時によく入れますよね。慣れていない人からするとグロテスクかもしれませんが、美味しいので、ぜひ。

<Q4> 好きな映画を紹介してください。

たくさんあるのですが、この場で一つ挙げるならば、『ウォールフラワー』(原題:The Perks of Being a Wallflower)です。

<Q5> 最近嬉しかったことは何ですか。

Nintendo Switchを手に入れたことです。

<Q6> 感銘深く読んだ本と学生に推薦したい本をお教えください。

村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』です。専門にも関連しており、20世紀の日本人がいかに東アジアと向き合ってきた/向き合っていくのか、独自の視点を提出していて考えさせられます。

学生に推薦したい本は、金庸の武侠小説です。まずは『射鵰英雄伝』、『神鵰俠侶』(日本語タイトル『神鵰剣侠』)、『倚天屠龍記』の三部作から読んでみてください。

<Q7> 研究者(あるいは教員)を志したのは いつですか。

いま考えれば、大学3年生時の北京留学が人生の転換期になったと思います。世界の広さを実感するとともに、自分がいかに無知、無学であるのか思い知らされました。

<Q8> 学院大(生)のよいところをお教え下さい。

新型コロナの影響でまだお会いしたことはないのですが、素朴で、いい学生さんが多いと聞いています。

<Q9> 学生時代に印象に残った先生について教えてください。

大学院生時代の指導教員です(今でもお世話になっている先生です)。中国の現代詩を読む授業だったのですが、難解な詩を前に、誰もが得心する解釈を披露されていたのが印象的でした。点と点をつなげて星座にするかのよう、とでも言えばいいでしょうか。「テクストを読む」とは創造的な行為であると思い知らされました。授業後の飲み会も楽しかったな。

<Q10> 異文化“誤解”のエピソードがあればお教え下さい。

中国に本物のお笑いがないと思い込んでいたことです。学生時代、僕は中国がお笑い後進国だと“誤解”していました。留学中、テレビをつけても、お行儀よさそうな漫才やコントはあれど、ビートたけしの如きブラックジョーク、ダウンタウンのようなシュールなどなかったのですから。政治批判や下ネタは言うまでもありません。ところがどっこい、中国語の勉強を進めるうちに、中国語のジョーク、スラング、罵り言葉が日本語以上に強烈で、バラエティ豊かだと知りました。当然ながら、ネット上の動画はもちろん、文学、映画にも作りこまれたもの、爆笑できるものはたくさんあります。中国には日本的なお笑いがないだけであって、笑うことに対する欲望は想像以上に大きかったのでした。

<Q11> 赴任以来、「なんでやねん」と思わずツッコんでしまった出来事はありますか。

新型コロナウイルス騒動で、毎日が「なんでやねん」です。

<Q12> 五月病に悩む学生へ一言、「こうしてごらん」。

こないだ、くまのプーさんが「Doing nothing often leads to the very best of something.」と言っていました。なので、答えは「何もしないをする」です。

四川料理です。中国はご飯が美味しいですよ

【新任教員の紹介】房賢嬉先生(日本語学・日本語教育学)

<Q1> 「お名前」をお教え下さい。

房賢嬉(ばん ひょんひ)です。

<Q2> 「ご専門(あるいは担当科目)」をお教え下さい。

専門は日本語学、日本語教育学です。

<Q3> 好きな食べ物は何ですか。

「お父さんとお母さん、どっちが好き?」のように、答えに困る質問ですね。食べ物は全般的に好きです(笑)。

<Q4> 好きな映画を紹介してください。

『Billy Elliot(リトルダンサー)』という映画が好きです。イギリス北部の炭鉱町に住むビリーエリオットという少年が様々な逆境を乗り越え、立派なバレエダンサーへと成長する物語です。イギリスのジョージ王子がバレエ好きとして知られているほど、今はバレエ男子も増えてきていますが、映画の舞台になっている1984年のイギリスでは「バレエは女子がやるもの」という認識が根強くあったようです。このような社会の偏見、家族の反対、不況、貧困という厳しい状況の中でも、少年はバレエへの思いを募らせます。猛反対していた父親も息子の真剣な踊りを見て、ビリーを支えてあげようと決意します。ここからが泣けます。この映画の背景には、炭鉱労組のサッチャー政権に対する合理化反対闘争があり、ビリーの父と仲間たちはストライキを繰り返します。しかし、ビリーの父は息子の夢のためにストライキをやめ、仲間を裏切ろうとします。お父さんがスト破りをして炭鉱に戻るシーンは、今でも涙なしでは見れません。アダムクーパーが演じる大人のビリーが登場する最後のシーンは圧巻です!何度見ても飽きない大好きな映画です。

<Q5> 最近嬉しかったことは何ですか。

七夕まつりを見たことです。赴任する前に何度か仙台を訪れましたが、七夕まつりの時期と微妙にずれてしまい、七夕飾りを鑑賞することができませんでした。通りを彩る様々な飾りを見て感動しました。これが今年の飾りです!



<Q6> 感銘深く読んだ本と学生に推薦したい本をお教えください。

たくさんあって、選びにくいですね...。時々思い出す本は、子どもの頃読んだ『ぼくらの未来: 花たちに希望を(Hope For the Flowers)』です。絵本ですが、人生とは何なのか深く考えさせられる内容です。推薦したい本は、『暇と退屈の倫理学(國分功一郎著)』です。大学院時代の仲間たちとゆるい読書会をしていますが、今年の春に読んだのがこの本です。暇と退屈についてこんなに深い考察ができるんだーと感心しながら読みました。少し難しいですが、面白いです。

<Q7> 研究者(あるいは教員)を志したのはいつですか。

学部生の時からだと思います。きっかけは、大学3年生のときにとった「日本語音声学」という授業です。前期は音声学の基礎的な知識を学び、後期は前期に学んだ知識を活かして好きな文章を朗読し、録音したものを提出するという授業でした。その授業を通して自分の発音が上達したことに気づきましたが、そのときに「それはなぜなのか」という問いが生まれました。その問いがのちに博士論文になりました。

<Q8> 学院大(生)のよいところをお教え下さい。

学生によってよいところが異なりますので、一言では表せません。

<Q9> 学生時代に印象に残った先生について教えてください。

大学院時代の指導教官です。先生から、「社会的弱者やマイノリティーを支えるための日本語教育」、「人がより人間らしく生きるための日本語教育」について学びました。言語活動と人間活動は一体のものであり、「言語のあり方の良さ=人の生き方の良さ」ということを学んだおかげで、日本語教育に対する視野が広がったと思います。

<Q10> 異文化“誤解”のエピソードがあればお教え下さい。

大学院時代のエピソードです。知り合いのおばあさんが骨折で一か月以上入院すると聞き、お見舞いに行きました。病室で少しでも長く楽しんでもらおうと思い、リーガスベコニアの鉢植えを持っていきました。付き添っていたおばあさんの息子さんに鉢植えを渡したら、とても困った顔で、「これは家に持って帰りますね」と言われたのです。当時は理由が分からず息子さんの行動が理解できませんでした。後日、日本では「鉢植えの花」を持ってお見舞いに行くことがタブーとされていることを知りました。人(または、その人が属している文化)によって「鉢植えの花」に対する意味づけがこんなにも違うんだと改めて感じました。私は「鉢植えの花」を「長生きする=元気=縁起がいい」ととらえていたのに対し、おばあさんの息子さんは、「根付く=寝付く=縁起悪い」ととらえていたのです。文化や言葉の違いが価値観の違いを生み、それが誤解につながると感じたエピソードです。

<Q11> 赴任以来、「なんでやねん」と思わずツッコんでしまった出来事はありますか。

icscaが自販機やコンビニの買い物に使えないことです。suicaやpasmoは使えるのに「なんでやねん!」と思いました。

<Q12> 五月病に悩む学生へ一言、「こうしてごらん」。

ゆるく生きましょう。五月病になりやすい人は、きっとまじめで頑張りすぎる人だと思います。なんでもきっちりしようと思うから、不安になったりストレスをためやすくなったりすると思います。少し失敗してもいいし、無駄なことをする時期があってもいい。気楽にやりましょう。

【新任教員の紹介】金亨貞先生(韓国・朝鮮語)

<Q1> 「お名前」をお教え下さい。
金 亨貞(きむ ひょんじょん)といいます。

<Q2> 「ご専門(あるいは担当科目)」をお教え下さい。
専門は韓国語学と韓国語教育学です。最近興味を持っているテーマは韓国語名詞句における有情性の問題です。有情性というのは,日本語でいえば人や動物名詞には「いる」,もの名詞には「ある」が使われることと関連している概念です。有情性は,韓国語では格表示の実現,能動文と受動文における主語の選択などの文法現象と関係しているもので,これらの問題について研究を進めています。また,日本語母語話者のための日韓・韓日辞典の編纂にも関心を持っています。

<Q3> 好きな食べ物は何ですか。
おいしいものであればなんでもよく食べます。少し違う話になりますが,10年くらい前に日本人の知り合いの家に招待されたとき,きれいな薄緑のスープをいただいたことがあります。今考えればずんだスープでした。当時は日本に来たばかりの,まだ右も左もわからない素人だったので,その知り合いの方がいろいろお世話をしてくださいました。仙台に来てずんだ餅を見たとき,そのことを思い出して,とても懐かしいような寂しいような気分になりました。

<Q4> 好きな映画を紹介してください。
私が一番好きな映画は「ジプシーのとき」という昔のものです。ジプシーたちが生活する,旧ユーゴスラビアの小さな村を舞台にして,純粋なある少年が物質文明と資本主義に染まって堕落していく過程をリアルに描いた作品です。ジプシー音楽の悲しげなメロディーや魔術的なシーン演出を通して,現実の悲しみがより強烈に感じられました。行きつけのビデオレンタル店が閉店したとき,店主のおばさんからその映画のビデオテープをいただいて,今も持っています。

韓国の映画もいろんなものを見てきたのですが,最近話題になっている南北首脳会談と関連して「JSA」という映画を紹介したいです。いまさら紹介するまでもない有名な作品ですが。先日板門店での歴史的な出会いを見て,多くの韓国人があの映画のことを思い浮かべたかと思います。メッセージ性もあり,コメディーや推理などの娯楽映画としての面白さも備えていますので,ぜひ一度見てほしいです。

<Q5> 最近嬉しかったことは何ですか。
本学に赴任したことです。韓国語や朝鮮半島の文化および社会に関心を持っている学生たちと一緒に勉強できるようになってうれしく思っています。

<Q6> 感銘深く読んだ本と学生に推薦したい本をお教えください。
この頃は研究や教育関連の専門書籍ばかり読んでいて,あまり感銘を受けることもないですが,SF短編小説の「あなたの人生の物語」は面白かったです。アメリカの小説家,テッド・チャンが1998年に書いたものです。映画としても制作されて,日本では『メッセージ』というタイトルで昨年公開されました。ある日エイリアンが突然地球にやってきて,主人公の言語学者が軍の命令によりエイリアンとコミュニケーションをとりながら彼らの言語を習得していく過程を描いた小説です。

主人公は地球人の文字言語とは全く違うエイリアンの文字言語体系を身につけることによって,世界を4次元的に認識できるようになります。つまり,時間を自由に認識する力を身につけたことで,特定の時点に縛られずに,未来のことまで知ることができたのです。このような4次元の時空はアインシュタインの相対性理論で取り扱われたものです。少し難解な内容ですよね。認識方法が変わる過程の理論的妥当性について私は批判的ですが,言語学や認知科学,物理学の原理をもとにした,言語の習得が世界に対する人間の認知過程をも変えてしまうという大胆な発想は,なかなか興味深かったです。

ところで,その小説でもう一つ大切な話は主人公の娘との思い出です。思い出なのに未来時制で書かれていて,最初は不思議に思ったのですが,小説を読み終えて納得しました。おそらくその小説で作者が語りたかったのは,未来のことを先に知っても人間の選択は変わらないということだったのではないかと思います。

もう一冊,『「国語」という思想』という本も一度読んでみたらよいかと思います。社会言語学の本ですが,内容はそんなに難しくはありません。「国語」という言葉の歴史やそこに潜んでいるイデオロギーについて忌憚なく述べた本です。長い歴史を持っている日本の「国語学会」が2004年に「日本語学会」に名称を変更したこととも関連があるように思えます。

<Q7> 研究者(あるいは教員)を志したのは いつですか。
学部時代は韓国の大学の国語国文学科に所属し,韓国語学と韓国文学を勉強していましたが,当時は研究者や教員を目指すという考えはありませんでした。大学卒業後,たまたま韓国を訪れた外国人に韓国語を教える仕事をすることになりました。仕事は楽しかったですが,言語教育のより専門的な訓練が必要だと痛感して,韓国語教育学の修士課程に進学しました。韓国語教育学という学問は,韓国語学,教育学,心理学など,多様な分野にまたがる学際的な性格を帯びています。修士課程に在学中,自分は語学にもっとも興味を持っていることがわかりました。それで博士課程は再び韓国語学の方に戻ることになりました。数多くの用例の分析に奮闘しながら,何か意味のある研究結果を出さなければならないという圧迫感で苦しかったのですが,何度も仮説を立て直してそれの検証が可能になったとき,やりがいや喜びを感じました。博士の学位を得て,何となく自分も研究者として生きていけるかなと思いました。

<Q8> 学院大(生)のよいところをお教え下さい。
着任してまだ一か月程度しか経っていませんので,この質問には答えにくいです。これから変わるかもしれませんが,第一印象はおとなしくて真面目そうに見えます。

<Q9> 学生時代に印象に残った先生について教えてください。
私は日本に来てから博士論文を書いたので,実は韓国の大学にいらした指導教員の指導をちゃんと受けることは物理的に難しかったです。そういうことで,日本で朝鮮語学や朝鮮史を専門になさっている先生方に大変お世話になりました。ときには後輩のようにときには弟子のように,いろいろな相談に快く乗ってくださった先生方に心から感謝しています。

<Q10> 異文化“誤解”のエピソードがあればお教え下さい。
私は京都で5年くらい暮らしたことがあります。京都に行く前に日本人や韓国人の知り合いから「京都人のいうことには裏の意味があるので素直に受け入れてはいけない」と何度も注意されました。ところが,実際に生活してみたら人間が住んでいるところってそんなに変わらないということがわかりました。いわゆる先入観の問題ですが,どこの人はああだこうだということよりは,個々人の個性などを理解し合ったうえで,相手のことを配慮しようとする真心が大切でないかと思います。もちろん文化圏によって注意すべき言動はあるでしょうし,あらかじめ知っておくことはよいと思います。例えば,アメリカでは,他人の子供がいくら可愛くても頭をなでたりしてはいけないですよね。しかし考えてみると,他人の子供の頭をなでることは,韓国でも昔は違和感なく認められた行動でしたが,現在では失礼だと考える人が増えてきたようです。文化や習慣も時代とともに変わるものですから。昔の常識が今は時代遅れになってしまったり,誤って伝わった異文化の常識が問題を引き起こしたりすることも少なくないと思います。

↑仕事帰りに見つけたコンクリートの裂け目から咲いている野花

<Q11> 赴任以来,「なんでやねん」と思わずツッコんでしまった出来事はありますか。
学院大の特色といえば毎日礼拝が行われることでしょうか。ところが私もミッション系の大学出身ですので礼拝には慣れています。(自分は仏教徒ですが。)不思議に思ったことは特にありません。

<Q12> 五月病に悩む学生へ一言,「こうしてごらん」。
私も生活環境が大きく変わってバタバタしています。こういうときは,まず,自分の心の中を冷静に見つめて,自分がもっとも避けたいことや望むことが何かを探り出してそれを素直に認めるのが必要かと思います。そのうえで,焦らずに自分のペースでやっていけば何となく落ち着くのではないでしょうか。とはいえ,常に理性的な判断ができるわけでもないですし,個々人の悩み事にもいろいろな種類がありますので,本当につらかったら周囲の誰でもいいので助けを求めたり声をかけたりしてください。

【訳書紹介】William J.Perry著・松谷基和訳『核戦争の瀬戸際で』

言語文化学科で韓国・朝鮮の言語と文化を教えている松谷基和先生の訳書『核戦争の瀬戸際で』(William J.Perry著、東京堂出版、2018)が刊行されました。本に対する簡単な紹介、そして『朝日新聞』と『日本経済新聞』に載った書評を紹介致します。

※     ※     ※

<内容紹介>

現在、北朝鮮の核問題に世界中が注目しているが、北朝鮮と米国を巡る危機は、すでに1994年に起こっていた。当時のクリントン政権で国防長官を務めたペリー氏が、核戦争の瀬戸際で生きてきた自らの人生を振り返った自伝、『My Journey at the Nuclear Brink 』待望の翻訳。

<『朝日新聞』2月18日付書評>
まるで、けんかにはやる子どもたちを諭す老教師の光景だった。90年代末、米議会で北朝鮮政策を語ったウィリアム・ペリー氏の姿を私は今も思いだす。
脅しに屈するのか。なぜ敵と対話するのか。いらだつ議員たちの問いに、元国防長官は噛んで含めるように、対話と抑止を両立させる意義を説いた。
北朝鮮を孤立させれば崩壊すると信じるのは希望的な観測に過ぎない。米軍の態勢を維持しつつ、相手の真意を探る。それが当時、「ペリー・プロセス」と呼ばれた政策の肝だった。
20年後の今、北朝鮮問題は再び危機を迎えている。核をめぐる緊迫の度ははるかに増したが、為政者たちの思考は同じ轍を踏んでいるようにしか見えない。
日米両首脳は、ひたすら圧力を連呼し、トランプ大統領は「核戦争」まで口にした。米政権は「使いやすい」小型の核弾頭を開発する戦略も発表した。
人類の破滅を憂える想像力が、なぜここまで失われてしまったのだろうか。
核問題の最前線に立ち続けた、90歳の回想録はまさに時宜にかなう。東京と那覇の焼け跡を起点に、冷戦の核競争、キューバ危機、旧ソ連の核解体などに取り組んだ教訓をたどる。
核ミサイルをめぐる誤認など相互破壊態勢下の緊張をへて、到達した結論は明快だ。「核兵器はもはや我々の安全保障に寄与しないどころか、いまやそれを脅かすものにすぎない」
11年前にキッシンジャー氏らと「核なき世界」への提言を発表した。その確信は今も揺るぎない。核攻撃されても国を守れるという発想は絶望的な現実逃避であり、核の危険性は除去できないという信仰を「危険な敗北主義」と断じる。
トランプ政権の核軍拡にさえ追従する日本政府は、敗北主義の代表格だろう。政治的な強硬論が幅を利かせ、核政策までもがポピュリズムに流される。そんな時代の到来を、私たちはもっと恐れねばならない。

<『日本経済新聞』3月31日付書評>
本書はクリントン政権下で国防長官を務め、後にキッシンジャー元国務長官らと超党派で核廃絶を訴える論考を公表し、オバマ大統領の「核なき世界」演説を先導した著者が、自らの半生を振り返りつつ、改めて核の危険を訴える著作である。
1927年生まれの著者は敗戦直後の日本で現代戦争の惨禍をまざまざと実見した後、冷戦下で米国が核大国として急成長する中で核兵器の情報分析産業に携わることになった。62年のキューバ危機の際には西海岸から首都に呼び寄せられ、情報分析に携わった。キューバ危機がもたらした緊張を体感した最後の世代の一人だろう。著者も触れるように、冷戦後の歴史研究は、キューバに核兵器が運び込まれていたことをケネディ政権が察知していなかったことなど、危険な誤算が数多く存在したことを明らかにしている。著者によれば核戦争の回避は適切な対応と同時に幸運によるものだった。
カーター政権下で政権入りした著者は核軍備管理を進めようと尽力するが、その努力はソ連だけでなく国内の反対派にも妨げられた。著者によれば、通常火薬の100万倍の破壊力を持つ核兵器を通常兵器と同様に見なす誤りが、細部をめぐる損得勘定への拘りを生んだのである。ゴルバチョフ政権の登場で軍備管理が著しい進展を見せた時期の記述も印象的だが、国防長官として取り組んだソ連解体後の核不拡散問題に関する記述が本書の白眉だろう。
ロシアとの信頼関係を重視する著者は96年に北大西洋条約機構(NATO)の東方拡大を延期するよう求めたが、政権内での論争に敗れたと後悔を込めて振り返る。だが、著者が94年に主導した、ウクライナなどからの核兵器撤去の代償として米英露がこれら諸国領土保全を約束した「ブダペスト覚書」にすでに問題は胚胎していたのかもしれない。ロシアからすれば同覚書は政治的混乱の中で核兵器を人質に押し付けられたと受け止められた可能性がある。
世界大戦やキューバ危機の恐怖を知らないトランプ大統領や金正恩国務委員長が核のボタンを握る時代において、著者の回顧は忘れてはならない貴重な教訓を含んだ証言と言えよう。

【目次】
序 章 もしワシントンで核兵器テロが起こったら?
第1章 キューバ危機、核の悪夢
第2章 天空の火
第3章 ソビエト核ミサイルの脅威
第4章 シリコンバレーの原風景
第5章 国防次官への就任要請
第6章 「相殺戦略」の実施とステルス技術の登場
第7章 アメリカの核戦力強化
第8章 核警報、軍縮、そして失われた核不拡散の機会
第9章 外交官としての国防次官
第10章 冷戦の終結、再び民間人として
第11章 首都ワシントンへの帰還
第12章 国防長官就任
第13章 核兵器解体、ナン・ルーガー法の実施
第14章 北朝鮮の核危機
第15章 STARTIIと核実験禁止条約をめぐる戦い
第16章 NATO、ボスニア、ロシアとの安全保障の絆
第17章 ハイチ「無血」侵攻と西半球安全保障の確立
第18章 軍事能力と福利厚生のあいだの「鉄の論理」
第19章 武器よさらば
第20章 途切れていたロシアとの安全保障の絆
第21章 共通の土台を求めて
第22章 北朝鮮政策の見直し
第23章 イラクでの大失策
第24章 「冷戦主義者」たちの新たなヴィジョン
第25章 核なき世界を目指して
終 章 日本 私の人生を変えた国

古書の魅力

今日話した内容は忘れてもいいです。しかし、古書を触り、感じた記憶だけは留めておいてください。皆さんはこれから一生、古書を触るチャンスがないかもしれません。

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金永昊先生の原典講読の授業では、随筆・小説・新聞など様々なジャンルの韓国語で書かれた本を読んでいますが、今日の授業では少し別の話題に移りました。文禄・慶長の役を通じて朝鮮から日本へもたらされた書物や印刷技術の話、そして日本での翻訳・翻案の話、それと併せて、漢籍や和古書を実際に触り、その魅力を感じてもらいました。

まず、「朝鮮籍では、2行で書かれたものと1行で書かれたものはどんな違いがあるか」という質問があり、「1行で書かれたものは本文、2行で書かれたものは注釈」との説明がありました。それに加えて、〇を付けたところは、漢文でもハングルでもなく、当時の朝鮮人が漢文を解読するために付した特殊な記号、つまり「口訣」というものだそうでした。日本でも片仮名は同じような発想で生まれたようで、このようなところにも日韓の考え方の共通性が見られると思いました。

これから一生古書を触るチャンスはほとんどないと思いますが、もし、あったとしてもマスクを被ったり、手袋をしたりしなければならないそうです。しかし、金永昊先生は、「それでは古書の魅力を直接感じることが出来ないため、いくらでも素手で触っていい」とおっしゃいました。その代わり、ページをめくる時には唾を付けてはいけないそうです(下図参照)。

どうして左下の矢印のところだけ黒いでしょうか。人々はこの本を今で言うとレンタルショップから借りて読み、指に唾を付けてページをめくったのでしょう。どれだけたくさんの人が読み、ページをめくったのでしょうか。我々も唾を付けてページをめくると、病気が移るかもしれないそうですが、果たしてそうでしょうか(笑)。また、虫食いの跡も見られます。湿度が高い地域で保存された本は虫食いが多く、低い地域で保存された本は虫食いが少ないそうです。虫と卵を簡単に殺せる方法として、古書をラップで巻いて電子レンジに入れるという裏技もあるそうです。

特に日本の古書は挿絵が多いです。現代の漫画文化の原点は、このように豊富に盛り込まれた挿絵にあるそうですが、びっくりしたのは本文・振り仮名・挿絵までこんなに細かく板木に一々掘って、印刷したということです。特に、本を開いた状態で挿絵を鑑賞するためには、板木を2枚利用して掘らなければならなかったことが興味深かったです。

 ※     ※     

 最後に、古書の保存について嘆かわしい事実を教えられました。それは、例えば、五巻五冊の書物の場合、全巻揃ったことで重要な意味を持つことになります。しかし、全巻揃った状態だと値段が高くて、販売(業)者にとってはなかなか販売できないため、ばらして1冊ずつ売ってしまうケースがあるそうです。そうすれば、古書に少しだけ興味がある人でも買いやすいし、販売(業)者も古書を売りやすいそうです。しかし、そうなると、何百年も一緒にいた兄弟が別れてしまうようなことになり、一度別れた兄弟はいつ再会できるか分からなくなります。もちろん、古書の販売は重要であるとはいえど、バラバラではその重要性がなくなってしまいます。

【コラム5】食べ物が国境を越えるとき(渡部友子先生)

 昔アメリカに留学中、不思議な食べ物に遭遇しました。ブロッコリーの天ぷらです。日本料理店で注文した盛り合わせの中に入っていました。「日本でこれは揚げないよね」と大笑いしましたが、改めて「具材にできる・できないの基準は?」と聞かれたら答えに窮します。レンコンやカボチャも揚げるのですから、ブロッコリーも悪くないですよね。また数年前には、イギリスでJapanese vegetarian noodles in soupを注文したら、野菜に交じって揚げ豆腐が入っていました。菜食主義者が肉を豆腐で代用することを考えると不自然ではありません。野菜ラーメンを期待した私には違和感がありましたが、まずくはなく、この店も盛況でした。

 食べ物が国境を越えると、行った先で変化を起こすことがよくあります。これは「現地化」という現象で、上はその例です。異国の食べ物をそのまま持ち込み根付かせることは簡単ではありません。それは、同じ材料が手に入らない、同じ材料でも風味が異なる、食べる人の好みが異なる、などの事情があるからです。現地化しなければ拒絶されることもあります。例えばパンは日本に普及しましたが、もちもちの食感が好まれるためか、欧米で一般的な固めのパンはあまり店頭に並びません。

 異国の食べ物が現地化するということは、その国で特定の地位を獲得するということです。その際に、元の国での地位より高くなることが多いようです。例えば、イタリアの庶民食ピザは移民によりアメリカに持ち込まれ、そのまま庶民食として根付きました。現在は宅配食の代表的存在です。ところが宅配ピザチェーンがイギリスに近年進出した際、なぜかおしゃれなレストランになりました。またイギリスのFish & Chipsは、白身魚に衣を付けて揚げてポテトフライを添えたもので、伝統的な庶民食ですが、これを日本で注文すると少し上品な仕上がりで出てきます。同様の現象は日本の回転寿司にも起こっています。元々高級だった生寿司を庶民食にしたはずの回転寿司が、欧米に進出してSushi Barに変身しています。先日テレビでは、枝豆の軍艦巻きを目撃しました。枝豆も日本では庶民食ですが、欧米では健康志向派の高級食材になっているようです。

 食べ物の現地化は悪いことではないと私は考えます。例えばカレーやラーメンのように、外国由来でありながら日本で独自の進化を遂げた食べ物は、日本の食文化を豊かにしたと言えるでしょう。今は海外で和食が評価を高めていますが、輸出して各地での現地化を許す方が面白い展開になると思います。例えば抹茶をコーヒーと同列の飲み物にアレンジするなど、日本人は思いつかなかったでしょう。しかし現地化したものは「本物」とはどこか異なります。それが冒頭で述べた私の違和感です。食文化を発信する側は、「現地に合わせて変えて結構。でも本物を味わいたかったら本国まで来てください」と言えるだけのプライドと寛容を持つべきではないでしょうか。

【新任教員の紹介④】井上正子先生(英語)

言語文化学科では今年、4人の新しい先生を迎えました。今回は、英語の井上先生をご紹介致します。

<Q1> 「お名前」をお教え下さい。
井上 正子(いのうえ まさこ)です。

<Q2> 「ご専門(あるいは担当科目)」をお教え下さい。
1920年代のニューヨーク・ハーレム地区ではじまった文化運動ハーレム・ルネサンスと英語圏カリブ文学を中心に研究しています。学院大では英語圏文学と文化で考えるジェンダー・スタディーズも担当しています。

<Q3> 最近嬉しかったことは何ですか。
学院大に就職できたことです。

↑奇跡のような青空が広がる真冬のヒースの丘(2013年12月)

<Q4> 研究者(あるいは教員)を志したのはいつですか。
わたしは社会人経験を経て研究の世界にはいりましたが、きっかけのひとつにニューヨークでの異文化体験があります。留学先の大学に隣接する公園で、浅黒い肌の女たちが白い赤ちゃんの子守りをしているのを見て、ショックを受けたことをいまでもよく覚えています。もともとジェンダーや人種問題に関心があったのですが、有色の女たちが白人中産階級の共働き世帯を支えるために低賃金労働を余儀なくされている現実を知り、動揺したのでしょうね。米国では、中産階級の白人が移民や有色女性の子守りを雇うことがよくあるのですが、結果として肌の色や言語文化の違いにもとづく経済格差、女性格差が助長されているのではないか。ナイーヴすぎるかもしれませんが、そう思ったんです。この頃、いろいろな文化的背景を持つバイタリティ溢れる人たちに出会って、日系や中国系、韓国系アメリカ人、ターバンを巻いたインド系、ヒスパニック系、カリブ系住民からたくさん刺激を受けました。大学の授業では、ハイチ系アメリカ人作家エドウィージ・ダンティカのBreath, Eyes, Memory(邦題『息吹、まなざし、記憶』)を読んでいて、西洋とアフリカの言語文化が混じり合うカリブ海の「クレオール」という文化現象に惹かれていきます。先生にそのことを伝えると、「ファンレターを書くといい。アメリカの作家は返事をくれるから」とおっしゃる。半信半疑で出版社に手紙を送ると、ほんとうに作家本人から直筆の返事が届いたからびっくりです。うれしくって何度もなんども手紙と小説を読み返して、いつかダンティカやまだあまり知られていないカリブ系作家の作品を翻訳して日本の読者に紹介したい、と思うようになりました。とは言っても何者でもないわたしが出版社に翻訳原稿を持ち込んだところできっと相手にしてもらえませんよね。それならいっそのこと、専門家になったらどうだろう・・・(!!)。かなり無謀な思い付きでしたが、雑多な人種や文化が出会うニューヨークの下町で受けた刺激が、いまのわたしの下地を作ったことは間違いなさそうです。

<Q5> 学院大(生)のよいところをお教え下さい。
案外(?)まじめなところ。

<Q6> 赴任以来、「なんでやねん」と思わずツッコんでしまった出来事はありますか。
着任式当日に骨折し、全治一ヶ月と診断されたことです。ところが骨折したのが足の親指だったので、踵に重心をかけて歩くだけでもじんじん痛むほどなのに、誰も気づかないし心配もしてくれない(笑)。それにしても、生まれてはじめての骨折を晴れの舞台の日にしなくても・・・と自分で自分にツッコみをいれたくなる出来事でした。

<Q7> (遅くなりましたが)五月病に悩む学生へ一言、「こうしてごらん」。
新しい環境になかなか馴染めず、孤独や行き詰まりを感じることがあるかもしれません。そんな時、日常から少しだけ離れてみるのはどうでしょう。川べりの散歩でも、サイクリングでも、地下鉄で街にお出かけでも、国内外のひとり旅でも、なんでもいい。出かけた先で、人でも物でも景色でも、偶然の出会いを楽しんでみてください。わたしの場合、海外にいても行き詰まりを感じると、ふらっと鉄道の旅に出たくなってしまいます。写真はエミリー・ブロンテの小説『嵐が丘』の舞台となった英国ヨークシャー・ハワースにあるトップウィズンズという廃墟を訪ねた時のもの。出発地点のブロンテ博物館から往復6時間ほどかかるので、夕暮れまでに宿に戻れるかどうかうろうろしながら考えていると、偶然通りかかった地元トレッキングチームのリーダーが「一緒に来るかい?」とお声をかけてくださる。彼らのおかげで無事に目的地まで辿りつけただけでなく、パブでのクリスマス・ディナーまでご馳走になり、感謝の気持ちでいっぱいです。仕事に追われて気持ちに余裕がない時期でしたが、旅先で見知らぬ人たちの思いやりに触れて、自分を見つめ直すこともできました。なので、ふらっと小旅行はおススメです。ただし、くれぐれもセキュリティ対策は万全に。