【新任教員の紹介】李承赫先生(国際関係・英語)

<Q1> 「お名前」をお教え下さい。

李承赫(り・すんひょく)です。「り」は、韓国では「い」と発音するのが普通ですが、国籍がカナダに変わった際に、パスポート上の名字がLeeと表記されましたので、日本に来てからも発音がLeeに近い「り」にしています。

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【新任教員の紹介】翠川博之先生(フランス文学・フランス語)

<Q1> 「お名前」をお教え下さい。

翠川博之(みどりかわ ひろゆき)と申します。

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【新任教員の紹介】城山拓也先生(中国近現代文学・中国語)

<Q1> 「お名前」をお教え下さい。

城山 拓也(しろやま たくや)と言います。

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【新任教員の紹介】金亨貞先生(韓国・朝鮮語)

<Q1> 「お名前」をお教え下さい。
金 亨貞(きむ ひょんじょん)といいます。

 

<Q2> 「ご専門(あるいは担当科目)」をお教え下さい。
専門は韓国語学と韓国語教育学です。最近興味を持っているテーマは韓国語名詞句における有情性の問題です。有情性というのは,日本語でいえば人や動物名詞には「いる」,もの名詞には「ある」が使われることと関連している概念です。有情性は,韓国語では格表示の実現,能動文と受動文における主語の選択などの文法現象と関係しているもので,これらの問題について研究を進めています。また,日本語母語話者のための日韓・韓日辞典の編纂にも関心を持っています。

 

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【訳書紹介】William J.Perry著・松谷基和訳『核戦争の瀬戸際で』

言語文化学科で韓国・朝鮮の言語と文化を教えている松谷基和先生の訳書『核戦争の瀬戸際で』(William J.Perry著、東京堂出版、2018)が刊行されました。本に対する簡単な紹介、そして『朝日新聞』と『日本経済新聞』に載った書評を紹介致します。

※     ※     ※

<内容紹介>

現在、北朝鮮の核問題に世界中が注目しているが、北朝鮮と米国を巡る危機は、すでに1994年に起こっていた。当時のクリントン政権で国防長官を務めたペリー氏が、核戦争の瀬戸際で生きてきた自らの人生を振り返った自伝、『My Journey at the Nuclear Brink 』待望の翻訳。

<『朝日新聞』2月18日付書評>
まるで、けんかにはやる子どもたちを諭す老教師の光景だった。90年代末、米議会で北朝鮮政策を語ったウィリアム・ペリー氏の姿を私は今も思いだす。
脅しに屈するのか。なぜ敵と対話するのか。いらだつ議員たちの問いに、元国防長官は噛んで含めるように、対話と抑止を両立させる意義を説いた。
北朝鮮を孤立させれば崩壊すると信じるのは希望的な観測に過ぎない。米軍の態勢を維持しつつ、相手の真意を探る。それが当時、「ペリー・プロセス」と呼ばれた政策の肝だった。
20年後の今、北朝鮮問題は再び危機を迎えている。核をめぐる緊迫の度ははるかに増したが、為政者たちの思考は同じ轍を踏んでいるようにしか見えない。
日米両首脳は、ひたすら圧力を連呼し、トランプ大統領は「核戦争」まで口にした。米政権は「使いやすい」小型の核弾頭を開発する戦略も発表した。
人類の破滅を憂える想像力が、なぜここまで失われてしまったのだろうか。
核問題の最前線に立ち続けた、90歳の回想録はまさに時宜にかなう。東京と那覇の焼け跡を起点に、冷戦の核競争、キューバ危機、旧ソ連の核解体などに取り組んだ教訓をたどる。
核ミサイルをめぐる誤認など相互破壊態勢下の緊張をへて、到達した結論は明快だ。「核兵器はもはや我々の安全保障に寄与しないどころか、いまやそれを脅かすものにすぎない」
11年前にキッシンジャー氏らと「核なき世界」への提言を発表した。その確信は今も揺るぎない。核攻撃されても国を守れるという発想は絶望的な現実逃避であり、核の危険性は除去できないという信仰を「危険な敗北主義」と断じる。
トランプ政権の核軍拡にさえ追従する日本政府は、敗北主義の代表格だろう。政治的な強硬論が幅を利かせ、核政策までもがポピュリズムに流される。そんな時代の到来を、私たちはもっと恐れねばならない。

<『日本経済新聞』3月31日付書評>
本書はクリントン政権下で国防長官を務め、後にキッシンジャー元国務長官らと超党派で核廃絶を訴える論考を公表し、オバマ大統領の「核なき世界」演説を先導した著者が、自らの半生を振り返りつつ、改めて核の危険を訴える著作である。
1927年生まれの著者は敗戦直後の日本で現代戦争の惨禍をまざまざと実見した後、冷戦下で米国が核大国として急成長する中で核兵器の情報分析産業に携わることになった。62年のキューバ危機の際には西海岸から首都に呼び寄せられ、情報分析に携わった。キューバ危機がもたらした緊張を体感した最後の世代の一人だろう。著者も触れるように、冷戦後の歴史研究は、キューバに核兵器が運び込まれていたことをケネディ政権が察知していなかったことなど、危険な誤算が数多く存在したことを明らかにしている。著者によれば核戦争の回避は適切な対応と同時に幸運によるものだった。
カーター政権下で政権入りした著者は核軍備管理を進めようと尽力するが、その努力はソ連だけでなく国内の反対派にも妨げられた。著者によれば、通常火薬の100万倍の破壊力を持つ核兵器を通常兵器と同様に見なす誤りが、細部をめぐる損得勘定への拘りを生んだのである。ゴルバチョフ政権の登場で軍備管理が著しい進展を見せた時期の記述も印象的だが、国防長官として取り組んだソ連解体後の核不拡散問題に関する記述が本書の白眉だろう。
ロシアとの信頼関係を重視する著者は96年に北大西洋条約機構(NATO)の東方拡大を延期するよう求めたが、政権内での論争に敗れたと後悔を込めて振り返る。だが、著者が94年に主導した、ウクライナなどからの核兵器撤去の代償として米英露がこれら諸国領土保全を約束した「ブダペスト覚書」にすでに問題は胚胎していたのかもしれない。ロシアからすれば同覚書は政治的混乱の中で核兵器を人質に押し付けられたと受け止められた可能性がある。
世界大戦やキューバ危機の恐怖を知らないトランプ大統領や金正恩国務委員長が核のボタンを握る時代において、著者の回顧は忘れてはならない貴重な教訓を含んだ証言と言えよう。

【目次】
序 章 もしワシントンで核兵器テロが起こったら?
第1章 キューバ危機、核の悪夢
第2章 天空の火
第3章 ソビエト核ミサイルの脅威
第4章 シリコンバレーの原風景
第5章 国防次官への就任要請
第6章 「相殺戦略」の実施とステルス技術の登場
第7章 アメリカの核戦力強化
第8章 核警報、軍縮、そして失われた核不拡散の機会
第9章 外交官としての国防次官
第10章 冷戦の終結、再び民間人として
第11章 首都ワシントンへの帰還
第12章 国防長官就任
第13章 核兵器解体、ナン・ルーガー法の実施
第14章 北朝鮮の核危機
第15章 STARTIIと核実験禁止条約をめぐる戦い
第16章 NATO、ボスニア、ロシアとの安全保障の絆
第17章 ハイチ「無血」侵攻と西半球安全保障の確立
第18章 軍事能力と福利厚生のあいだの「鉄の論理」
第19章 武器よさらば
第20章 途切れていたロシアとの安全保障の絆
第21章 共通の土台を求めて
第22章 北朝鮮政策の見直し
第23章 イラクでの大失策
第24章 「冷戦主義者」たちの新たなヴィジョン
第25章 核なき世界を目指して
終 章 日本 私の人生を変えた国

古書の魅力

今日話した内容は忘れてもいいです。しかし、古書を触り、感じた記憶だけは留めておいてください。皆さんはこれから一生、古書を触るチャンスがないかもしれません。

※     ※     ※

金永昊先生の原典講読の授業では、随筆・小説・新聞など様々なジャンルの韓国語で書かれた本を読んでいますが、今日の授業では少し別の話題に移りました。文禄・慶長の役を通じて朝鮮から日本へもたらされた書物や印刷技術の話、そして日本での翻訳・翻案の話、それと併せて、漢籍や和古書を実際に触り、その魅力を感じてもらいました。

まず、「朝鮮籍では、2行で書かれたものと1行で書かれたものはどんな違いがあるか」という質問があり、「1行で書かれたものは本文、2行で書かれたものは注釈」との説明がありました。それに加えて、〇を付けたところは、漢文でもハングルでもなく、当時の朝鮮人が漢文を解読するために付した特殊な記号、つまり「口訣」というものだそうでした。日本でも片仮名は同じような発想で生まれたようで、このようなところにも日韓の考え方の共通性が見られると思いました。

これから一生古書を触るチャンスはほとんどないと思いますが、もし、あったとしてもマスクを被ったり、手袋をしたりしなければならないそうです。しかし、金永昊先生は、「それでは古書の魅力を直接感じることが出来ないため、いくらでも素手で触っていい」とおっしゃいました。その代わり、ページをめくる時には唾を付けてはいけないそうです(下図参照)。

どうして左下の矢印のところだけ黒いでしょうか。人々はこの本を今で言うとレンタルショップから借りて読み、指に唾を付けてページをめくったのでしょう。どれだけたくさんの人が読み、ページをめくったのでしょうか。我々も唾を付けてページをめくると、病気が移るかもしれないそうですが、果たしてそうでしょうか(笑)。また、虫食いの跡も見られます。湿度が高い地域で保存された本は虫食いが多く、低い地域で保存された本は虫食いが少ないそうです。虫と卵を簡単に殺せる方法として、古書をラップで巻いて電子レンジに入れるという裏技もあるそうです。

特に日本の古書は挿絵が多いです。現代の漫画文化の原点は、このように豊富に盛り込まれた挿絵にあるそうですが、びっくりしたのは本文・振り仮名・挿絵までこんなに細かく板木に一々掘って、印刷したということです。特に、本を開いた状態で挿絵を鑑賞するためには、板木を2枚利用して掘らなければならなかったことが興味深かったです。

 ※     ※     

 最後に、古書の保存について嘆かわしい事実を教えられました。それは、例えば、五巻五冊の書物の場合、全巻揃ったことで重要な意味を持つことになります。しかし、全巻揃った状態だと値段が高くて、販売(業)者にとってはなかなか販売できないため、ばらして1冊ずつ売ってしまうケースがあるそうです。そうすれば、古書に少しだけ興味がある人でも買いやすいし、販売(業)者も古書を売りやすいそうです。しかし、そうなると、何百年も一緒にいた兄弟が別れてしまうようなことになり、一度別れた兄弟はいつ再会できるか分からなくなります。もちろん、古書の販売は重要であるとはいえど、バラバラではその重要性がなくなってしまいます。

【コラム5】食べ物が国境を越えるとき(渡部友子先生)

 昔アメリカに留学中、不思議な食べ物に遭遇しました。ブロッコリーの天ぷらです。日本料理店で注文した盛り合わせの中に入っていました。「日本でこれは揚げないよね」と大笑いしましたが、改めて「具材にできる・できないの基準は?」と聞かれたら答えに窮します。レンコンやカボチャも揚げるのですから、ブロッコリーも悪くないですよね。また数年前には、イギリスでJapanese vegetarian noodles in soupを注文したら、野菜に交じって揚げ豆腐が入っていました。菜食主義者が肉を豆腐で代用することを考えると不自然ではありません。野菜ラーメンを期待した私には違和感がありましたが、まずくはなく、この店も盛況でした。

 食べ物が国境を越えると、行った先で変化を起こすことがよくあります。これは「現地化」という現象で、上はその例です。異国の食べ物をそのまま持ち込み根付かせることは簡単ではありません。それは、同じ材料が手に入らない、同じ材料でも風味が異なる、食べる人の好みが異なる、などの事情があるからです。現地化しなければ拒絶されることもあります。例えばパンは日本に普及しましたが、もちもちの食感が好まれるためか、欧米で一般的な固めのパンはあまり店頭に並びません。

 異国の食べ物が現地化するということは、その国で特定の地位を獲得するということです。その際に、元の国での地位より高くなることが多いようです。例えば、イタリアの庶民食ピザは移民によりアメリカに持ち込まれ、そのまま庶民食として根付きました。現在は宅配食の代表的存在です。ところが宅配ピザチェーンがイギリスに近年進出した際、なぜかおしゃれなレストランになりました。またイギリスのFish & Chipsは、白身魚に衣を付けて揚げてポテトフライを添えたもので、伝統的な庶民食ですが、これを日本で注文すると少し上品な仕上がりで出てきます。同様の現象は日本の回転寿司にも起こっています。元々高級だった生寿司を庶民食にしたはずの回転寿司が、欧米に進出してSushi Barに変身しています。先日テレビでは、枝豆の軍艦巻きを目撃しました。枝豆も日本では庶民食ですが、欧米では健康志向派の高級食材になっているようです。

 食べ物の現地化は悪いことではないと私は考えます。例えばカレーやラーメンのように、外国由来でありながら日本で独自の進化を遂げた食べ物は、日本の食文化を豊かにしたと言えるでしょう。今は海外で和食が評価を高めていますが、輸出して各地での現地化を許す方が面白い展開になると思います。例えば抹茶をコーヒーと同列の飲み物にアレンジするなど、日本人は思いつかなかったでしょう。しかし現地化したものは「本物」とはどこか異なります。それが冒頭で述べた私の違和感です。食文化を発信する側は、「現地に合わせて変えて結構。でも本物を味わいたかったら本国まで来てください」と言えるだけのプライドと寛容を持つべきではないでしょうか。

【新任教員の紹介④】井上正子先生(英語)

言語文化学科では今年、4人の新しい先生を迎えました。今回は、英語の井上先生をご紹介致します。

<Q1> 「お名前」をお教え下さい。
井上 正子(いのうえ まさこ)です。

<Q2> 「ご専門(あるいは担当科目)」をお教え下さい。
1920年代のニューヨーク・ハーレム地区ではじまった文化運動ハーレム・ルネサンスと英語圏カリブ文学を中心に研究しています。学院大では英語圏文学と文化で考えるジェンダー・スタディーズも担当しています。

<Q3> 最近嬉しかったことは何ですか。
学院大に就職できたことです。

↑奇跡のような青空が広がる真冬のヒースの丘(2013年12月)

<Q4> 研究者(あるいは教員)を志したのはいつですか。
わたしは社会人経験を経て研究の世界にはいりましたが、きっかけのひとつにニューヨークでの異文化体験があります。留学先の大学に隣接する公園で、浅黒い肌の女たちが白い赤ちゃんの子守りをしているのを見て、ショックを受けたことをいまでもよく覚えています。もともとジェンダーや人種問題に関心があったのですが、有色の女たちが白人中産階級の共働き世帯を支えるために低賃金労働を余儀なくされている現実を知り、動揺したのでしょうね。米国では、中産階級の白人が移民や有色女性の子守りを雇うことがよくあるのですが、結果として肌の色や言語文化の違いにもとづく経済格差、女性格差が助長されているのではないか。ナイーヴすぎるかもしれませんが、そう思ったんです。この頃、いろいろな文化的背景を持つバイタリティ溢れる人たちに出会って、日系や中国系、韓国系アメリカ人、ターバンを巻いたインド系、ヒスパニック系、カリブ系住民からたくさん刺激を受けました。大学の授業では、ハイチ系アメリカ人作家エドウィージ・ダンティカのBreath, Eyes, Memory(邦題『息吹、まなざし、記憶』)を読んでいて、西洋とアフリカの言語文化が混じり合うカリブ海の「クレオール」という文化現象に惹かれていきます。先生にそのことを伝えると、「ファンレターを書くといい。アメリカの作家は返事をくれるから」とおっしゃる。半信半疑で出版社に手紙を送ると、ほんとうに作家本人から直筆の返事が届いたからびっくりです。うれしくって何度もなんども手紙と小説を読み返して、いつかダンティカやまだあまり知られていないカリブ系作家の作品を翻訳して日本の読者に紹介したい、と思うようになりました。とは言っても何者でもないわたしが出版社に翻訳原稿を持ち込んだところできっと相手にしてもらえませんよね。それならいっそのこと、専門家になったらどうだろう・・・(!!)。かなり無謀な思い付きでしたが、雑多な人種や文化が出会うニューヨークの下町で受けた刺激が、いまのわたしの下地を作ったことは間違いなさそうです。

<Q5> 学院大(生)のよいところをお教え下さい。
案外(?)まじめなところ。

<Q6> 赴任以来、「なんでやねん」と思わずツッコんでしまった出来事はありますか。
着任式当日に骨折し、全治一ヶ月と診断されたことです。ところが骨折したのが足の親指だったので、踵に重心をかけて歩くだけでもじんじん痛むほどなのに、誰も気づかないし心配もしてくれない(笑)。それにしても、生まれてはじめての骨折を晴れの舞台の日にしなくても・・・と自分で自分にツッコみをいれたくなる出来事でした。

<Q7> (遅くなりましたが)五月病に悩む学生へ一言、「こうしてごらん」。
新しい環境になかなか馴染めず、孤独や行き詰まりを感じることがあるかもしれません。そんな時、日常から少しだけ離れてみるのはどうでしょう。川べりの散歩でも、サイクリングでも、地下鉄で街にお出かけでも、国内外のひとり旅でも、なんでもいい。出かけた先で、人でも物でも景色でも、偶然の出会いを楽しんでみてください。わたしの場合、海外にいても行き詰まりを感じると、ふらっと鉄道の旅に出たくなってしまいます。写真はエミリー・ブロンテの小説『嵐が丘』の舞台となった英国ヨークシャー・ハワースにあるトップウィズンズという廃墟を訪ねた時のもの。出発地点のブロンテ博物館から往復6時間ほどかかるので、夕暮れまでに宿に戻れるかどうかうろうろしながら考えていると、偶然通りかかった地元トレッキングチームのリーダーが「一緒に来るかい?」とお声をかけてくださる。彼らのおかげで無事に目的地まで辿りつけただけでなく、パブでのクリスマス・ディナーまでご馳走になり、感謝の気持ちでいっぱいです。仕事に追われて気持ちに余裕がない時期でしたが、旅先で見知らぬ人たちの思いやりに触れて、自分を見つめ直すこともできました。なので、ふらっと小旅行はおススメです。ただし、くれぐれもセキュリティ対策は万全に。