2017年度 スクーリング情報(1)

言語文化学科に合格されたみなさん、おめでとうございます。

今は大学生活への期待も高まる時期かと思います。これからの4ヶ月は、大学生活にとって重要な準備期間となります。それは勉学についても、それ以外の活動についても同じです。どうぞ一日一日を充実したものにしてください。

言語文化学科では入学前の準備教育として、「スクーリング」と呼ばれるイベントを実施しています。お手元に既に資料が届いているかと思いますが、日程・場所は以下のようになっています。

日時:2017年2月13日(月)10:30-16:30
場所:泉キャンパス2号館224教室ほか

2号館はここです↓
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 このスクーリングに際しては、みなさんに
①英語の単語テスト
②セミナー(言語篇、レポート2つ)
③セミナー(文化篇、レポート2つ)
をしていただきます。②③のセミナーについては、本学科のホームページで順次アップする予定の「スクーリング情報(2)」以降をご参照ください。

①英語の単語テストは、『基本語500 No. 1』(言語文化学科英語スタッフ編)の所収単語を暗記することです。『基本語500』は
http://www.ipc.tohoku-gakuin.ac.jp/izavc/kihongoreibun/index.html
から勉強してください。

スクーリング当日に確認テストを実施します。『基本語500』第1集の内容は音声付でWEB上に公開しています。個々の例文の音声へのアクセスや、基本単語を覚えたかどうかのチェックがすぐに行えます。ページを開いたら「お気に入り」に登録して毎日勉強してださい。ブラウザはインターネットエクスプローラを使用してください。ほかのブラウザではきちんと表示されないことがあります。

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WEBが利用できる環境になく学習が困難だという人は、必ず言語文化学科スタッフ(金永昊(キムヨンホ) kimyh※mail.tohoku-gakuin.ac.jp )に連絡を取ってください。印刷された教材と音声が入ったCDを郵送いたします。

【単語の意味と例文について】

単語の意味を示す日本語訳は、覚えることを優先に最小限に抑えて書いてあります。日本語の表示から、それが名詞であるのか、動詞であるのか、形容詞であるのか、副詞であるのか、それともまた別の品詞なのかを意識するようにしてください。間違えやすいと思われる場合は品詞も表示しておきました。例文中でどの品詞が使われているのかを意識するようにしてください。英語は日本語と違い、一つの単語が複数の品詞で使用されることが多くあります。使われる意味も一つではありません。皆さんもこれから、それぞれの単語について「このような使い方もあるんだ」という経験をすることになると思います。それぞれの単語を自分のものにしていく土台作りとして利用下さい。

自分で勉強の仕方を工夫して効率のいい方法を見つけていくことが大事です。4月の入学まで時間を有効に使って、有意義に過ごしてください。

【確認テストについて】

2月のスクーリング時に行う「確認テスト」は以下の要領で実施します。

・問題はA、Bの2種類。
・A:例文を基本単語の箇所だけ空欄にして表示、単語の意味と例文の和訳も表示する。
・B:例文を基本単語の箇所だけ空欄にして表示、意味・和訳は表示せず、例文の音声を2回聞く。
・A、Bともに、基本単語の先頭の文字がヒントとして表示される。
・答えとして、空欄に入る基本単語のつづりを記入する。例文によって語形が変化している(時制、三単元のs、分詞、複数形等)ことに注意する。
・Aの問題を20問、Bの問題を20問、計40問出題する。
・点数が5割に満たない場合、4月におこなわれる追試の対象になる。
・テスト返却の後、成績優秀者を表彰する。

【コラム1】「福島弁と韓国語」ー松谷基和先生ー

これから言語文化学科の先生によるコラムの連載をスタートすることになりました。言語と文化についての貴重なお話しをお届けしたいと思います。第1弾としては、韓国・朝鮮語を教えている松谷先生から「福島弁と韓国語」という原稿をいただきましたので、どうぞお聞きください。

*          *        *

今からもう20数年前のことである。私は韓国の延世大学に交換留学生として1年間留学した。当時は韓流ブーム以前の時代であり、韓国に対する世間の関心は薄く、韓国に留学する学生も少なかった。ましてや、私の通っていた国際基督教大学(ICU)は英語教育が評判なこともあって人気の留学先は欧米であり、韓国を選ぶ学生は「変わり者」であった。また、韓国に留学する場合でも、現地では英語による科目履修が想定されており、韓国語の能力は選考基準に含まれていなかった。そもそも、当時は、ICUのカリキュラムに韓国語の科目は存在せず、留学前に韓国語を学ぼうにも大学では学ぶ機会すらなかったのである。

当時の私は、こうした英語さえできれば、英語圏でなくても留学できるという制度が英語中心主義の象徴のように思われ、現地語を学ばないまま留学することに抵抗を感じた。幸いなことにICUからそう遠くない所に「アジア・アフリカ語学院」という語学の専門学校があったため、そこに通うことで、私は初めて韓国語の学習の機会を得たのであるが、今日では第二外国語で韓国語を学べる大学が多数であり、まさに隔世の感がある。

ところで、私が当時、反発を覚えていたのは、実は英語中心主義ではなく、日本語の標準語中心主義であった。私は福島市で生まれ育ち、祖父母との会話量も多かったせいか、同世代の人間の中でも福島弁が得意な方であった。しかし、当時、東京の大学に進学する地元の高校生は、上京する前から福島弁を矯正するのが常であり、福島弁は都会では隠すべきものと考えられていた。私は標準語を習得しようとする人々の努力を全否定するつもりはなかったが、その理由が福島弁を話す奴は田舎臭くて「みったぐねえ(みっともない)」という自虐的な価値観にあることを知っており、そうした価値判断をする奴こそ「みったぐねえ」と反発心を燃やしていた。実際、私は大学進学後、キャンパスで見かけた「大九州言語会」という九州出身者による「方言飲み会」の存在に刺激されたこともあり、岩沼出身の友人と「奥州連合」なる看板を掲げて、東北人同士の「方言飲み会」の立ち上げ者となった。

こうした私の「母語」である福島弁へのこだわりは、その後、意外な形で私の韓国語習得を助けることになった。というのも、韓国語(正確には「ソウル標準語」)では、一般的に単語や文章にはアクセントや抑揚をつけずに平らに(フラットに)読むことが求められるのであるが、これが福島弁に似ており、何ら違和感を覚えなかったのである。

実際、これは言語学的にも裏付けられるようである。というのも、福島に限らず南東北(仙台も含む)は、言語学的分類調査によれば、いわゆる「無アクセント地帯」に属し、その特徴は、文字通り、単語にアクセントをつけず、抑揚のない平板型のイントネーションで話すこととされる。つまり、韓国語も南東北の方言もイントネーションの基礎が共通なのである。

それに加えて、私の観察では、「あつい」を「あづい」、「なめこ」を「なめご」、「かたち」を「かだぢ」と発音するように、二音節目以降の子音を濁音化させて発音する福島弁(南東北弁一般もそうであろう)のパターンも韓国語と同様である。例えば、韓国語の「行く」という単語はスペル上では「カタ」であるが、実際には「カダ」と二音節目の子音は濁音化させて発音するのである。要は「平板型アクセント」+「子音の濁音化」という発音上の規則が、二つとも韓国語と福島弁に共通しているのである。

私が留学して間もない頃、ある韓国語の先生から「私は長年、日本語母語者に韓国語を教えていますが、松谷さんは日本語母語者が苦手とするアクセントやイントネーションにほとんど問題を感じていないようですね。どうして、松谷さんだけ、そうなのか私には不思議です」と言われたことがある。その時は自分でもあまり意識しなかったのだが、後年、私と同様に福島弁の使い手である妹が韓国に留学した際にも、全く同じことを言われたという話を聞き、やはり、これは偶然ではなく、韓国語と福島弁の間には言語学的共通性があるためではないかとの思いが強まった。おそらく読者の中にも、韓国語を聞きながら何となく濁音が多く、どこか東北弁と近いと感じたり、逆に韓国人の話す日本語が何となく東北人の訛りのように聞こえたりした経験がおありではないだろうか?ぜひとも、本学で韓国語ないし言語学に興味を持つ学生には、このテーマについて本格的に探求して欲しいものである。

さて、近年、東北に限らず、どの地域でも日常生活から方言が失われ、イントネーションも標準化されつつあると聞く。私の思いとは別に、世の中は、益々、内には日本語中心主義、外には英語中心主義に流れていき、日本語と英語ができることが「バイリンガル」と称賛される風潮も強まって行くのであろう。しかし、私が思うに、方言と日本語を話せれば、これは立派な「バイリンガル」である。そして、こうしたバイリンガル感覚の持つ人の方が、実は他言語/多言語を学ぶ上で有利な面もあり得るのである。方言に囲まれて育ち、今でも多少は方言を操れる学生諸君に伝えたい。「君、方言を捨てたもうことなかれ」と。

東北地域韓国語弁論大会で受賞!

去る11月12日(土)は、仙台韓国教育院・駐仙台大韓民国総領事館主催による「第七回 東北地域韓国語弁論大会」が開かれました。総領事や民団関係者のような外交の第一線で活躍する方々をはじめ、応援に来てくださった多くの方々を入れると約100名の方たちが集まる盛会となりました。

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 弁論大会は韓国語で5分程度のスピーチを行うというもので、内容は韓国語、韓国文化、日韓交流に関するものであれば主題は自由です。

第一部では中学・高校生部門で、仙台だけでなく、岩手県や山形県からも韓国語を学習している生徒10人が発表を行いました。第二部は成人部門で、言語文化学科3年生の野呂志緒里さんは「보이는 기술보다 우선은 자신의 정신부터(見える技術より、まずは自分の精神から)」というテーマで発表をしました。今年、韓国に旅行をした時、自分の人生を変えるような貴重な出会いがあり、その経験に基づいての発表でした。同じく言語文化学科3年生の庄司有里さんは「한국인의 정(韓国人の情)」というテーマで、1年間韓国の梨花女子大学に交換留学に行った時に感じた韓国人の「情」というものに関する発表でした。

そして、野呂さんは銅賞、庄司さんは銀賞という好成績を収めました。

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出場者たちは、これだけの長い韓国語の文章を、しかもたくさんの人の前で話したことがなく、少しは緊張したようでしたが、それでも日頃の学習成果を存分に発揮することが出来ました。出場者にとってはいい経験になったと思います。

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それでは、野呂さんからのコメントをもらいましたので、どうぞお聞きください。

*      *      *

ヨロブン、アニョハセヨ〜

今回、東北地域韓国語弁論大会に参加できたこと、自分にとって、とても良い経験になったと思います。

この大会に出るようになったきっかけは、私が出たいと思って出たわけではなく、韓国語の授業の先生に声をかけられ、大賞をとればソウル行きの航空券がもらえると聞き、やってみようではないかという思いで、出るようになりました(笑)

みなさんは、大学生活、楽しくお過ごしですか?私は、大学生1,2年の時、どうしたら充実したキャンパスライフを送れるのか、ずっと疑問に思って過ごしてました。大学の授業は楽しかったけれど、それだけで満足感を得ることはできませんでした。そんなある時、韓国に旅行しに行った時、すごく良い出会いがあって、私が悩んでいた悩みの答えをすっきりするぐらい得るようになりました。今回、そのことをみんなにも共有したくて、弁論の題材にさせていただきました。

大会当日はとても緊張しましたが、いつもお世話になっている金永昊先生、松谷基和先生からたくさんのご指導いただいていたので、自信を持って発表することができたと思います。恵まれた環境の中で、弁論大会に出場できたこと、感謝です。

次の機会に、少しでも関心のある方は、自分の思いを韓国語で伝えてみてはいかがですか^^?自分が成長するのにとても良い経験になると思います。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。言語文化学科3年生 野呂志緒里

*            *          *

私は交換留学生として韓国の梨花女子大学に一年間留学していました。留学をすることは高校生からの夢だったので、韓国で過ごした一年間はとても充実していました。梨花女子大学は韓国でも有名な女子大学の1つで、様々な学科があるため興味のある授業をいろいろ受ける事もできました。更に梨花女子大学は一学期におよそ400人ほどの留学生を受け入れてます。そのため一度にたくさんの国の人達とも友達に
なることもできました。しかし、後悔してることといえば積極的に韓国語を喋らなかった事です。当時頼りにできる友達もいませんでしたし、思ってたより校内で韓国人の友達を作ることができませんでした。そのため韓国語を喋る機会があまりなく、日本人や外国人の友達と遊ぶことが多かったです。留学中にもっと韓国語を頑張ればよかったと少し後悔していたことが、今回弁論大会に出場した理由です。一年間の留学をしただけで終わらせるのではなく、何か次に繋げられるものをやらなくてはと思い、自分が韓国で体験したこと、感じたこと、韓国の魅力などを弁論大会を通して伝えたいと思いました。私は半年を大学の寄宿舎、半年を下宿で過ごし、下宿先のおばさんの話を中心に韓国人特有の情について話しました。弁論大会に向けて練習する際には韓国語担当の金永昊(キムヨンホ)先生、松谷先生に的確なアドバイスを頂き、その他にも韓国で出会った韓国語の先生や韓国人の友人達に発音の練習など手伝ってもらいました。大会当日はたくさんの方々のおかげで、会場に来ていた方にも楽しく聞いてもらうことができ、自分自身も堂々と楽しく話すことができました。結果的に銀賞という素晴らしい賞を頂くことができ嬉しい気持ちでいっぱいですが、自分のためにたくさんの方々が協力し応援してくれたことと、韓国語の勉強って楽しいな、韓国が大好きだなと改めて感じることができ、弁論大会に参加して本当に良かったと思います。まず何かに挑戦することから始まると思うので言語文化学科のみなさんもいろいろなことに挑戦してみてください。これから私もこれにとどまらず、向上していけるように努力していきたいです。

言語文化学科3年生 庄司有里

第一回映画講座『雨月物語』(金永昊先生解説)が終わりました

去る9月29日(木)は泉キャンパス図書館の2階視聴覚室にて、言語文化学科の金永昊(キムヨンホ)先生の解説による後期第一回目の映画講座が行われました。今回の作品は、溝口健二監督の『雨月物語』(1953)でした。学内外の諸行事と重なり、多くの方が参加することは出来ませんでしたが、その分、一人一人と深いところまで話し合うことが出来ました。参加出来なかった方々のために、一部の模様をお伝えします。

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まず、映画上映前の約20分間は、上田秋成と『雨月物語』、そして溝口健二監督と映画『雨月物語』についての基本的な説明、そして映画のどのような点に注目して見ていただきたいかについての説明がありました。

●映画鑑賞前の解説

1.小説『雨月物語』は9編の怪談から構成され、全体を貫くテーマは「執着」「欲望」である(長島弘明、2016)。その内容は、権力・金銭・女性・男性など様々で、秋成はそれを通して「人間とは何か」を追求している。溝口は、『雨月物語』のうち、「浅茅が宿」「蛇性の婬」を下敷きとして「執着」「欲望」というテーマを忠実に受け継ぎながら、男性の「執着」「欲望」により犠牲になる女性を描いている。このように女性への眼差しは溝口監督映画のテーマであるが、それでは、『雨月物語』の中で男性は何に執着し、女性はどのような形で犠牲になるのかを注目して見ていただきたい。映画が原作の小説をそのまま忠実に再現しただけなら、高い評価は得られないようである。例えば、黒澤明の『羅生門』は芥川龍之介の原作から著しく離れているが、小説の中で語り得なかった(あるいは語るつもりのなかった、当然過ぎて語る必要のなかった)ことについての解釈、あるいは解決を映画の中で示したからこそ、原作と並んで日本映画史に残る傑作になったのである。それでは、溝口は原作についてどのような解釈を下しているのかもこれからの説明を聞きながら考えていただきたい。

2.『雨月物語』「浅茅が宿」は、中国明代の『剪灯新話』(1421)所収の「愛卿伝」、そして浅井了意の『伽婢子』(1666)所収の「遊女宮木野」などを原作としている。映画『雨月物語』の「宮木」は「浅茅が宿」の主人公宮木から由来したものであるが、これは「遊女宮木野」の「宮木野」からヒントを得たものである。

3.原作「浅茅が宿」で勝四郎は、生業の農作を嫌がっていた者で、貧しくなったため、残る田まで売って一攫千金の絹の商いをするべく京へ向かう。ここで問題になるのは、勝四郎が「残る田まで売って」京都に向かうという原作の設定は、故郷に残る宮木の生活が全く考慮されていない。『雨月物語』は全体を通して男の視点・男の論理で語りが進められているため、宮木の生活の苦しさなどは思慮の範疇になかったと思われ、具体的に書く必要もなかったと思われる。また、どうして勝四郎は宮木を連れて行こうとしなかったのか、についても疑問が残る。それでは、溝口はこの部分をどのように解釈したのか。注意して見ていただきたい。

4.原作「浅茅が宿」で、勝四郎は京で絹の商いで大金を稼ぐ。しかし、帰国の途中、稼いだ金を奪われる。そして、関東の戦乱を聞いて、妻は死んだものと思い込み、また京の方面へ戻る。この部分は「浅茅が宿」を解釈するうえで最大の問題点の一つである。つまり、①勝四郎は何を根拠として、妻は死んだものと思い込んだのか、②早く故郷に帰らずにどうしてまた京の方面へ戻ったのか、③京都で過ごした7年間という時間は長過ぎる、という点である。それについても「浅茅が宿」では具体的な答えが提示されていない。あまりにも当然過ぎるからであろうか、それならどうして当然なのか。お金を奪われた時、妻は死んだものと思い込んだのは、「大金を稼いで来るぞ」と大口を叩いた勝四郎の男としてのプライドにより、無意識のうちにそういうふうに考えるようになったのかもしれない。そして、もう一度、お金を稼ぐため、再び京都に向い、7年間も戻って来なかったのであろう。このような原作の問題について、溝口は映画の中で実に見事な解釈を下す。つまり、「男は女性に会ったのだ」「女性の捕らわれたのだと解釈するしかない」「しかも、その女性は亡霊である」と。そして映画『雨月物語』は「蛇性の婬」の世界を取り入れながら拡大されていく。

5.原作「浅茅が宿」では、勝四郎の帰郷後、宮木の死について語る翁が登場する。この場面は、一見あまり特徴のないように見えるかもしれないが、実はとても重要な意味が込められている。その場面についても注目して見ていただきたい。

 ●映画鑑賞後の話し合い

<金先生>源十郎は亡霊の「若狭の姫」と恋に落ちるが、「若狭」は今の福井県である。その他に、「若狭」は「若さ」をかけた言葉で、名前自体に「若狭の姫」が人間ではないことをほのめかしている。また、若狭の姫が住む「朽木屋敷」も「木」が「朽ち果てている」、つまり怪異を予兆する仕掛けが込められている。そして、「浅茅が宿」での「絹」の商売、映画で焼き物を売り「絹」を買う源十郎、更に映画の主人公は田中「絹」代であることで、「絹」がキーワードとして利用されて(?)いるが、これは偶然の一致であろうか(笑)。

<金先生>どの場面が最も印象深かったですか。

<学生1>源十郎が出稼ぎに行ってお金を儲けた時、その服を妻宮木に着せてあげることを想像する場面です。

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<金先生>確かにその場面は大変興味深くて、面白い場面である。その直前に源十郎は若狭の姫の顔を見て、その美しさに驚くのだが、その後、源十郎は服を妻宮木に着せてあげることを想像するので、その時点までは源十郎は妻宮木のことを考えていたのである。それでは、「いつ」そして「なぜ」源十郎が若狭の姫に心を奪われたのであろうか。それは、朽木の屋敷で、若狭の姫が源十郎の外見や人間性について褒めたからではない。源十郎が作った焼き物の素晴らしさ、そこにある芸術性について褒め讃えた時、源十郎は心を奪われたのである。それまでは金のために、豊かな生活のために仕事をして来た源十郎にとって、源十郎の能力について褒めた若狭の姫のこの言葉はまさに天才的な誘惑術である。

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<金先生>その他にどの場面が最も印象深かったですか。

<学生2>琵琶湖で舟を漕ぐシーンです。

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<金先生>琵琶湖を進む舟の幻想的な描写は、映像論としてすでに多くの賛美があり、日本映画史においても、浜辺での宴会の場面と共に、名場面として高く評価されている。琵琶湖を進む舟で宮木は「よかった、よかった。陸で行けば今頃命はなかった」とほっとするが、これは言うまでもなく、後で陸地に残される宮木の死を暗示する伏線である。因みに、浜辺での宴会の場面で、源十郎は「魔性の女でも構わない」と言う。この時、源十郎はすでに若狭の姫が人間ではないことを気付いているが、それを無意識のうちに拒否している。つまり、正常に判断する能力を失っている状態である。また、宴会の時、「ここが天国だ」と言う場面のすぐ後に、宮木が敵兵によって殺される場面が続くのだが、源十郎が経験している「天国」のような生活は宮木の「地獄」のような生活の代わりに得たものである。

<金先生>一番最初の質問として出した、どのような男性の執着、女性の犠牲が描かれていますか。

<学生3>金銭に対する源十郎の執着、そして権力に対する藤兵衛の執着が描かれ、それぞれの妻が死んだり、遊女になったりします。

●映画を見る前に出した課題に関する解説

①金先生が考えた印象深かった場面とは

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私は妻子を残して、夫婦が別れる場面を選びたい。この場面は、まさに溝口の天才的な力量・直観の鋭さが存分に表現されていると思ったからである。この部分について、原作の「浅茅が宿」のほうを見てみると、勝四郎は「いかで浮木に乗りつもしらぬ国に長居せん。葛のうら葉のかへるは此秋なるべし。心づよく待ち給へ」と言う。ここで、葛は秋の七草の一であり、秋の季語である、そして葛の葉が風によく翻るところから秋の季節感を表す表現で、「葛の葉が風に裏返るこの秋には、きっと帰って来る」の意として、解釈して何のおかしくないところである。しかし、この文章の和歌・俳諧的技法を見ると、「裏返る→恨み・裏切る」を象徴し、その他にも「葛→屑」「帰る→心が翻る」など、この文章の表には「戻って来る」と言いながら、そこに隠された修辞としては「宮木はウラ切られる」「宮木はウラみを残す」「固い約束はクズになる」「夫の心はカエる」に繋がることから、「宮木の死と勝四郎は戻って来ない」ことが伏線として暗示されている。そして、溝口は言外に含まれた内容まで実に見事なまでに再現していたのである。

映画の方を見ると、「10日もかからない」「我慢しろ」「気を付けてくださいよ」などと言う会話及び状況は、どこを見ても「源十郎は戻って来ない」「宮木は死ぬ」とは言っていない。しかし、先に説明したように①「陸で行けば今頃命はなかった」とほっとするが宮木の言葉は、宮木の死を暗示する伏線であり、②夫を送り出す宮木の表情、③映画全体を通してほとんどセリフもなく、無表情の息子源市がこの時だけは大きな声で無事に帰って来るよう叫ぶこと、しかも長い時間をかけて(長回し)表現されている、④背景音楽としては太鼓を叩くことによって、映画を見る人を緊張させること、⑤宮木と息子に対する長回し・トラッキングの撮影技法、を通して、映画を見ている人を不安に思わせ、「源十郎は戻って来ないだろう」と思わせている。つまり、溝口は、会話と状況としてはどこにも「源十郎は戻って来ない」とは言っていないが、映画全体の撮影技法を駆使して、見ている人が「源十郎は戻って来ない」ことを予感させ、見事に秋成の意図を見破って表現させたのである。

それでは、溝口は「浅茅が宿」で「葛のうら葉…」の文章の本当の意味が分かったため、映像として忠実に表現出来たのであろうか。【資料7】で挙げた鵜月洋『雨月物語評釈』(角川書店、1969)を見ると、『玉葉集』の和歌の用例「秋風と契りし人はかへり来ず葛のうら葉の霜がるるまで」を紹介しており、「秋風」「契る」「葛のうら葉」の単語が「帰って来ない」和歌として利用されていることを挙げてはいるものの、それが「浅茅が宿」の解釈にまでは至っていない。実は、この部分の本当の意味は、高田衛(1972)、木越治(1995)、金京姫(2006)によって少しずつ解明されたもので、溝口が映画を作った1950年代の『雨月物語』の研究レベルとしては、秋成の本当の意図が絶対分かるはずのないところである。それでは、溝口はどうして「葛のうら葉…」に込められた秋成の真意まで見破って表現出来たのであろうか。それは、まさに天才としか言いようのない、溝口の映画監督としての「直観」ではないかと思われる。

②女性像の変化

中国の原作は、ご紹介したあらすじから分かるように、「貞節を守る女性」が理想的な女性として内容の中心になっている。とても明代の中国的な発想であろう。それが、秋成の「浅茅が宿」では、「真間の手児奈と比べても宮木の哀切は深いものである」と褒め称えられる。ここで登場する「真間の手児奈」は『万葉集』を代表する処女で、秋成はここで国学者としての自分の知識を何とか生かしたかったのではないかと言われている。それでは、溝口が描いた宮木像はどういうものであろうか。中国の原作や秋成の『雨月物語』では亡霊と一夜を過ごす、つまり夫婦関係が持たれたことを暗示させるような表現がある。しかし、映画を見ると、①源十郎はお酒に酔って子供の横に寝るため夫婦関係が持たれたことは想定出来ない、②宮木は源十郎に布団をかけてあげ、源十郎のくつを整理する、③源十郎の食事を用意し、「お鍋も食べごろに煮えております」と話す、④子供の食べ物を守るため敵兵に殺される、などの状況から「母」としての宮木像が描かれている。ここで話は変るが、先に提示した質問、つまり、原作で勝四郎はどうして宮木を連れて行かなかったのかという疑問に対する答えとして、溝口は原作にはない子供源市を設定することによって、①子供がいるから宮木は故郷に残らなければならないという必然的な理由を設定することによって解決し、そして②母としての宮木像を見事に描くことが出来たと思われる。

③宮木の死について語る翁

この部分が中国の「愛卿伝」から始め、日本の古典では『伽婢子』の「遊女宮木野」、『雨月物語』の「浅茅が宿」に続き、映画『雨月物語』にも受け継がれている理由はなぜであろうか。各作者はどうしてこの部分に共感して表現したのであろうか。今、紹介しているパンフレット(「連続講座 震災と文学」)を見ると、東雅夫先生がうちの大学に来られ、「震災と怪談の文学史」というテーマで講演会を行ったが、その中で、震災の後、生き残った方々が亡くなった方々について語り合うこと、それが亡くなった方々の魂を慰める鎮魂・慰霊である、との趣旨の話をしたことを記憶している。その話を聞いた時、私は映画『雨月物語』、そしてその先行作品のことを思い出した。これについて、資料から分かるように、澤田瑞穂氏は『中国の伝承と説話』という本で、『剪灯余話』「連理樹記」の例を挙げながら次のように述べている。

至純の夫婦愛もしくは未遂の悲恋に殉じた男女の墓に連理樹が生じ、その樹に鴛鴦が棲むというのは、いわゆる植物化生や動物由来の民間伝承に根を持つばかりでなく、またそれを語り伝える無名の人々が、その悲運の男女に捧げるせめてもの鎮魂の供物でもあった。そうした眼前の樹木や動物に対して、その化生を証言し、しみじみと追懐することこそ、死せるものの遺恨を慰める途であると信じたがために、民間伝承の殉情悲恋物語には、その結末は決まってこのモチーフが持ち出され、少しでも受難の惨酷さを緩和し美化しようとする。いわゆる吐瀉の後の一服であり、人生の悲運に対する補償でもある。それは説話伝承の文学的技巧というだけでなく、実は冤魂鎮定の呪術としての説話の民俗的機能をも無意識のうちに継承しているのである。

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このような澤田氏の見解は、映画『雨月物語』を理解するうえで傾聴に値する重要な話である。つまり、映画『雨月物語』では、悲劇的な人生を生きた宮木に対して、「死せるものの遺恨を慰める」と同時に、「少しでも受難の惨酷さを緩和し美化」するために、宮木の死を伝える翁が登場し、塚の前で祈りを捧げる息子の姿を登場させたのである。そうすることによって、宮木の魂は救われたのであり、これはまさに理屈では説明出来ないものの我々が「説話の民俗的機能」として「無意識のうちに継承して」来たものである。

<これからの課題について>

映画には原作にはない人物として、息子の源市が登場する。セリフはあまりなく、ほとんど無表情で登場するが、母としての宮木像の形成、そして源十郎が宮木を残して出稼ぎに行くしかない必然的な状況を作り出したことで、大変大きな意味があることは先に述べた。

 その他に、藤兵衛と阿浜の物語が追加されているが、これは【資料9】に挙げた佐藤忠男『溝口健二の世界』(筑摩書房、1982)の指摘通り、「甘い結末」「ひどくつまらないもの」と評価されている。しかし、果たして藤兵衛と阿浜の物語は映画『雨月物語』の中では脇役に過ぎないのか、つまらないものに過ぎないのか、いや、映画の中ではきっと重要な意味を持つかもしれない。このように映画として、或は文学作品として出されてしまうと、その解釈は作者のものではなく、読者のものになる。どのような新しい意味を与えることが出来るのであろうか。ここに集まっていただいた学生たちが、この部分について関心を持ち、卒論を書いていただければ、きっと素晴らしい卒論になれると思われる。また、まるで能面のような若狭の姫の表情、朽木の屋敷の構造、背景音楽などで能の手法がたくさん織り込まれている。どのような技法が使われ、いかなる意味を持つのであろうか、考えてみても面白いと思われる。

<参考文献>

・鵜月洋『雨月物語評釈』(角川書店、1969)

・勝倉寿一『雨月物語構想論』(教育出版センター、1977)

・木越治「くり返しの修辞学―「浅茅が宿」試論―」(『秋成論』所収、ぺりかん社、1995)

・金京姫「「吉備津の釜」試論―俳諧的連想に注目して―」(『近世文藝』第84号、2006)

・金永昊「アジア漢字文化圏の中の『伽婢子』―「遊女宮木野」の翻案の特質を中心に―」(『人間社会環境研究』18号、金沢大学大学院人間社会環境研究科紀要、2009)

・―――「『剪灯新話』「翠々伝」の影響の諸相―日本・朝鮮・ベトナムの翻案作が求めたもの―」(『中国古典小説研究』14号、中国古典小説研究会、2009)

・佐藤忠男『溝口健二の世界』(筑摩書房、1982)

・澤田瑞穂『中国の伝承と説話』(研文出版、1988)

・重友毅「雨月評論(二)「浅茅が宿」について」(『近世文学史の諸問題』所収、明治書院、1963)

・高田衛「幻語の構造―雨と月への私注―」(『別冊現代詩手帳』第1巻第3号、1972)

・田中厚一「「浅茅が宿」「蛇性の婬」から映画「雨月物語」へ」(飯倉洋一・木越治編『秋成文学の生成』所収、森話社、2008)

映画講座(言語文化学科教員有志主催)案内

今年から泉キャンパス図書館で映画講座(シネマ・ラ・フォンテーヌ)が行われています。前期分4回は、毎回、言語文化学科を中心に、学生10-20人、教職員も数人ずつ来ています。上映後の話し合いでは、興味深い意見がたくさん出ていました。

さて、後期のシネマ・ラ・フォンテーヌの予定が決まりましたのでお知らせします。ぜひ、奮ってご参集ください。

●場所:泉キャンパス図書館 2階視聴覚室
●日時:下記の日時、全て15:00より

1.9月29日:溝口健二『雨月物語』(1953) 解説:金永昊先生

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2.10月20日:メイベル・チャン『誰かがあなたを愛してる』(1987)解説:塚本信也先生

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3.10月27日:カン・ジェギュ『シュリ』(1999)解説:松谷基和先生

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4.11月24日:西川美和『蛇いちご』(2003)解説:石塚秀樹先生

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5.12月1日:マービン・ルロイ『犯罪王リコ』 解説:宮本直規先生

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6.12月8日:イグナシオ・アグエロ『100人の子供たちが列車を待っている』(1988)『リュミエール兄弟 シネマトグラフ博物館』解説:小林睦先生

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7.1月19日:ベルナルド・ベルトルッチ『ラストエンペラー』(1987)解説:山崎冬太先生

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2年生筒井成美さんが「韓日交流作文・フォートコンテスト2016」で受賞!

 駐日韓国文化院主催による「韓日交流作文・フォトコンテスト 2016」において、言語文化学科2年生筒井成美さんが「韓国語川柳・俳句」部門において佳作を受賞しました。これは応募数521件のうち4番目という大変すばらしい成績です。授賞式は7月30日(土)に東京で行われました。

<受賞した作品>
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それでは、筒井さんによる解説を聞いてみましょう。

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 韓国人の若いカップルや新婚夫婦がお互いのことを愛嬌こめて呼ぶときに使う‘자기야’という言葉で韓国独特の愛称表現を入れました。元は自分という意味を持つ‘자기’が相手との親近感を与える言葉として広く大衆で使われており、私はそれが相手を自分のように大切にし、愛するという意味合いに思え、好きな韓国語の一つになりました。また、韓国ドラマやK-POPを聞いていると韓国の人々の恋人に対する恋愛観がとてもロマンチックな印象を受け、よく台詞や歌詞のフレーズで‘뭐해?’という言葉を耳にします。相手が今日は何をするのか、今何をしているのか、気にかけ心配するような気持ちが込められるこの言葉も韓国独特の表現のように感じ、今恋人がいない私としては憧れるフレーズなのでその気持ちを表現しました。
こうして学んだ韓国語や韓国文化を活かして賞を頂いたことで自分が学んできたことを認められたような気がし、とても嬉しく感じます。これからも韓国語、韓国文化の勉強に励み、どんどん機会を見つけて自分の実力を試していきたいです。

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夏まるごとオープンキャンパスが終了

 2016年7月30日(土)に全学のオープンキャンパス「夏まるごとオープンキャンパス」が盛況のうちに無事終了いたしました。天候にも恵まれ、多くの高校生と保護者の方々が県内外から訪問されました。言語文化学科では、言語文化学科らしいグローカル(GLOBAL+LOCAL)な活動が展開され、高校生や保護者に対して言語文化学科で学ぶ面白さを伝えることができました。特に、3年生だけでなく、1~2年生もたくさん訪れ、オープンキャンパスに対する関心の高さを感じました。

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     ↑オープンキャンパス担当教員から事前に
     注意事項を聞いているボランティア学生たち

 今回は「学科ガイダンス」「模擬授業」「個別相談」など、言語文化学科に興味や関心を持ってもらえるような様々な取り組みが行われました。この場をお借りし、ご来場の皆様を始め、43人の学生ボランティア、先生の方々のご協力に感謝申し上げます。

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教養学部の言語文化学科は、7つのグループ計13ヶ所のブースが設けられました。
言葉のしくみ:第二言語習得論、言語論
世界各地域の言語文化:英米の言語文化論、ドイツの言語文化論、フランスの言語文化論、中国の言語文化論、韓国・朝鮮の言語文化論
ことばと教育:日本語教師・英語教師
文化のしくみ:文化論
言葉とコミュニケーション:哲学・倫理学
表現と文化:映画論
国際交流今年は夏のオープンキャンパスより教室が広かったので、たくさんの生徒が入るようになりました。 県内外から多くの高校生と保護者が訪問され、興味のある各ブースに質問をしたり、近くにいた在学生ボランティアさんから大学生活を聞いたりしながら、東北学院大学言語文化学科での生活イメージを膨らませていました。

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 「模擬授業」コーナーでは、先生方をはじめ、留学生が交えての充実した授業が行われました。詳細な内容は以下の通りです。

10:00~10:25 学科ガイダンス・入試説明
10:35~11:05 異文化を理解して、自文化に気づく
12:05~12:35 プチ複言語講座―英・独・仏・中・韓・日―
13:00~13:25 学科ガイダンス・入試説明

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津上誠先生の模擬授業「異文化を理解して、自文化に気づく」

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個別相談の様子
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学科教員との相談
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                       留学生たちも参加しました
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以下は、在学生ボランティアの感想文です。

●たくさんの高校生が来てくれて嬉しかったです。説明が上手くできていたか分かりませんが、多くの高校生に言語文化学科の学びについて伝えることが出来たと思います。少しでも高校生たちの進路選択のお役に立てれば幸いです。

●多くの人が来てくれて達成感のある一日でした。模擬授業も面白かったです。前年に引き続き参加できてよかったです。

●今回で2度目のオープンキャンパスの手伝いだったが、前回(初夏のオープンキャンパス)よりもブースごとの連携ができたと思う。特に、ブースの並びが分かり易く、関連するものが隣り合っていたところがよかったのだと思う。次回も今回の並びがよいと感じた。

●暑い中のオープンキャンパスでしたが、高校生たちがたくさん来てくれました。フランス語ブースにもかなり興味を持って話を聞きに来てくれてうれしかったです。全体的に雰囲気が良く、言語文化のカラーを出せたオープンキャンパスになったと思います。

●高校生が色々と興味を持って質問してくれたのは嬉しかった。午前中にたくさん来て、昼過ぎは誰も来なくて、波があった。説明するのは難しく、ちゃんと言語文化の魅力を伝えられたか、心配である。このオープンキャンパスに来てくれた高校生が、少しでも多く言語文化学科に入ってくれたら、嬉しい。

●6月もオープンキャンパスに参加しましたが、6月よりは学生たちもたくさん参加しましたし、高校生も多かったと思います。今日はとても暑かったですが、皆たくさんがんばったと思います。いい思い出になりました。

●今回は初めてオープンキャンパスのボランティアとして手伝いに来ました。オープンキャンパスで、たくさんの高校生たちが来てくれて、台湾と中国の特徴や中国語を紹介してあげました。自分はあまりしゃべらなかったんですが、様々な人と会ってうれしかったです。皆さんもお疲れ様でした。

●6月のオープンキャンパスと比べ、一番の大きなオープンキャンパスということで人数が本当に多くよかったです。自分は韓国語の担当でしたが、興味を持っている子が多く、3人だけでは少し足りなかった気がしましたが、留学生もいてくれたので本当に助かりました。第2言語のところに留学生がいるということで、来てくれた高校生が、さらにこの学校、学科に入りたいと思ってくれたりと良い影響を与えることができたと思います。

●オープンキャンパスは初めて参加しましたが、いろいろな高校生たちと交流できてとても楽しかったです。学院大の学生の一員として学院の良いところを紹介したりして大変光栄です!中でも、特に学生たちがいろいろな道具を準備したりポスターを作ったりするのは良かったと思いました。高校生とは先輩という立場からアドバイスをして、対応がとても良かったと思いました。

●私自身がとてもたのしく充実した時間をすごすことができました。実際学院大にかよっている人たちの声をきける機会はなかなかなく、高校生にとってすごく貴重なものだと思うので、それを心がけて一日スタッフとしてすごしました。また、自分がやっていることを人に説明することは、すごく自分自身にとっても勉強になりました。

韓国総領事館を訪問しました

 7月7日(木)は韓国・朝鮮語の「原典講読」「言語文化学演習」を受講している学生たちが松谷基和先生の引率のもとで仙台韓国総領事館を訪問しました。

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 領事館では、梁桂花(ヤンギェファ)総領事から日韓関係に関するご講演を頂いた後、本学科の学生が韓国語も混ぜて自己紹介をしました。総領事は学生の語学力と積極的な姿勢を高く評価し、将来的には日韓交流の懸け橋となる人材として育ってほしいと激励の言葉を述べられました。なお、仙台総領事館は、東北に所在する唯一の在外公館であり、訪問者一同にとって貴重な国際経験となりました。

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昼休みに英語で話そう!

毎週月・水・金曜日は、英語の渡部友子先生の主宰で、言語文化総合研究室で昼食を食べながら英会話を楽しむ会が行われます。1年生から4年生まで、英語で話しながら先生・先輩・後輩と親しくなりたい人、英語の実力を伸ばしたい人など、自由に参加してみましょう。

「昼休みの英語勉強会は、英語教師を目指す学生に「英語を話す練習」をしてほしい、という趣旨で始まりましたが、教職志望以外の学生も受け入れています。参加者同士が互いの話に耳を傾け、質問しあうことを中心とし、指導者はその補助をします。話題は流れに任せるので、個人的なことから異文化理解や社会問題に展開することもあります。学年を限定していないので、先輩後輩間のつながりを作ることもできているようです」(渡部)

 


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「中学校の英語教師を目指しており、英語を話す力を伸ばしたいという気持ちから昼の英語勉強会に参加しています。初めの頃は思っていることを英語で口にすることができず、先生が話す英語を聞き取れないこともありました。その後通い続けるうちに、少しずつではありますが英語で話すことに慣れ、会話自体を楽しむことができるようにもなりました。うまく英語にできない表現を渡部先生にご指導いただいたり、他の参加学生の皆さんと一緒に英語力を磨いたりなど、とても充実した時間を過ごしています。残りの大学生活も通い続け、より成長していきたいと思います。」(言語文化学科4年生 佐々木愛香(ささきまなか))